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もずが枯れ木で鳴いている [雑学]

毎年、秋が深まり寒くなってくるとこの歌を思い出す。もずの鳴き声は寒さを身にしみこますようだ。取り入れも終わり、冬に閉じ込められるのを待つばかりの村里の物寂しさをひしひしと伝える歌だ。

サトーハチローがこの詩を「僕らの詩集」(講談社)に発表したのは昭和10年10月だったが、全く評判にならなかった。徳富繁が昭和13年3月に作曲したが、あまり歌われなかった。それが、戦後になり、歌声運動の中で反戦歌として共感を呼び始めて全国に広がった。戦争中茨城に疎開していて覚えたという女子中学生から採譜して野口肇などがこれを広めたのだ。

だから、そのころは茨城県民謡だといわれていた。今では、作詞者も作曲者もはっきりしているのだから民謡と言うわけにも行かない。しかし、しみじみ味わって見るに、やはりこの歌は民謡なのである。歌ってみればすぐにわかる。農民の生活に根ざしており、決して売文詩人の筆先から生れたものでない響きがある。

こんな良い歌なら、発表されてすぐに人々に染み渡ってもよさそうなものだ。第一反戦の主張があるような歌を特高警察が弾圧しないはずがない。出来てから何十年も話題にされず、弾圧も受けなかったことは何を意味しているのか。実はサトーハチローの作った「もすよ鳴くな」は反戦歌ではなく、「もずが枯れ木で」とは別の曲なのだ。

確かに大部分の歌詞は同じなのだが、肝心の最後の一節がまったくちがう。「もすよ鳴くな」は「百舌よ寒くも 泣くで無え 兄さはもっと 寒いだぞ」と題名のごとくもずの鳴き声を否定している。ところが、「もずが枯れ木で」は「もずよ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ」と鳴くもずに共感している。まったく反対の立場なのだ。

昭和10年は日中戦争がいよいよ本格化して戦意高揚した時期で、この詩は中国の戦場で活躍する兄を思う弟の心情を表し、兄さんはもっと寒いところで頑張っているんだぞと、鳴くもずを諭して、銃後の国民の奮起を促しているのだから、たとえ鉄砲が涙で光ったとしても反戦歌とはいえない。検閲にもひっかからなかったはずだ。サトーハチローに反戦歌が書けるわけもない。銃後を守る少年の歌としては、中身が妙に女々しくよい出来ではない。おばあさんまで出てくるのに母親や父親の存在がないのも変だ。

サトーハチローのどうでも良い詩が、民衆に歌い次がれるうちに、変化していった。もずよ寒いと鳴くが良い。人間として哀しいことは哀しい。徴兵されて死ぬことを嘆くのは当然だ。もずに対する肯定は、この歌を反戦歌に仕上げた。

茨城の田舎では俺とかオラは女性でも使う。あん人、あんさは夫を意味する。茨城県で歌われているうちに、夫を兵隊にとられた若妻の悲痛な悲しみの意味がこめられて行った。兄を失った少年でもいいのだが、夫を亡くした若嫁としたほうが、父母が出てこない不自然さがなくなる。薪をばっさり割ることが出来る強い男、頼みとする夫を戦争に取られた女の寂しさがこめられるようになる。戦争中、多くの人が共感を持ち、密かに歌われるようになっていった。これこそ民謡である。

もとの軽薄な戦意高揚歌からは完全に脱皮してしまっている。サトーハチローもさすがに詩人で、この歌が元歌を超えていることを認めた。作詞の名前は主張したが、歌詞の復活は求めなかったという。



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コメント 2

バーソ

こんにちは、初めてのコメントです。
拙ブログで「もずが枯れ木で」の歌について書こうと思って、
資料をネットで検索していたら、こちら様のサイトを知りました。

特に「茨城の田舎では俺とかオラは女性でも使う・・・・」以下の
文章には、なるほど、そういう見方もあるのかと感心させられました。

その部分を拙ブログの「補足」に抜粋引用させていただきました。
どうかその点をご了承いただきたくお願い申し上げます。
むろんブログのタイトル名とURLは注記してあります。

私の書く内容は、改変された経緯を書くというよりは、
詩文のビフォーアフターの注釈に主眼を置いています。

バーソ
「バーソは自由に」
https://barso.blog.fc2.com/
by バーソ (2018-03-02 12:11) 

バーソ

追伸

すみません。投稿予定日の記入を忘れました。
2018年3月3日(土曜)です。

バーソ
by バーソ (2018-03-02 12:15) 

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