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金正男殺害事件は陰謀?(推理) [国際]

金正男(キムジョンナム)殺害事件について、北朝鮮は陰謀だと主張している。疑惑否定のための単なる公式声明に過ぎないと言うのが一般的な見方であるが、確かにこの事件にはいまだに謎に包まれた部分が多く残されている。

一番不可解なのは、いまだに殺害の方法に納得の行く説明がないことだ。猛毒液を顔に塗り付けたと言うのだが、素手で塗り付けて加害者が平気だと言うのは、納得の行くものではない。こういった毒薬事件の場合、VXガスがどういうもので、どうやって死ぬことになったのかといった解説が行われるのだが、今回に関してはそれが一切ない。まるで殺害方法についての疑問に目を向けさせないようにしているかのようだ。

その次に疑問なのは殺害の場所だ。なぜ空港ロビーなどといった目立つ場所で殺したのだろう。待ち伏せした位だから、犯人たちは金正男の足取りを完全につかんでいる。一人で行動しているのだから、いくらでも、もっと目立たない場所で殺すことも出来たはずだ。銃撃とかナイフとか、オーソドックスな殺害方法が十分使える。北朝鮮に呼び返して始末することもできた。空港で殺したりしたら、大騒ぎになるに決まっているではないか。

金正男の足取りについての報道が全くないと言うのも不思議だ。彼は一体何をしに一人でマレーシアに来たのか? 身の危険は知っていたはずだ。偽名のパスポートを使っていたと言うが、もちろん当局には、ばれている。事件後すぐに実名を公表した事からもそれは明らかだ。要注意人物だから、足取りをつかんでいたはずだ。しかし、マレーシア側はそれを一切明らかにしていない。金正男の行動については触れたがらないのだ。

犯行に加わった人物の特定も素早かったし、日本から金正雄の指紋を参照したり、DNA資料を手に入れたりも素早かった。マレーシア警察の単独捜査ではなく、誰かが背後でを指導しているのは明らかだ。米CIAか英SISといった高度な諜報機関の影がちらつく。おそらくCIAだろう。日本の内調もからんでいるかも知れない。

この事件を推理小説風に検討してこれらの謎を解明して見よう。顔に塗り付けただけで死ぬようなものを素手で扱えるはずがない。おそらく、塗り付けたのは気分が悪くなり、刺激で目が見えなくなる程度のものだろう。それなら素手で扱える。本当の殺害は病院へ運ぶ救急車の中で行われたのである。救急隊員を偽装した真犯人が、手当に見せかけ、注意深く顔面に本物の毒を塗り付けた。

実行犯の女たちは何度も練習をしているが、塗り付けるのが単なる刺激性のものであれば、テレビの驚かせ番組と言っても疑われない。空港に舞い戻ってきた事からも女たちは殺人をしたと言う意識はなかったことがわかる。空港ロビーで行われたと言うことは、これが大きく報道されて外交問題になることを見越してのものだ。もちろん、これは北朝鮮の望むところではない。やはりCIAがたくらんだことだろう。

ではなぜCIAが金正男を殺したのか。金正男は金正恩と仲が良いわけではなく、むしろ対立者であった。だのにマカオで贅沢な暮らしができていたのだ。財政の厳しい北朝鮮が金正男に多額の援助をするはずがない。やはり金正男には別の資金源があったと見るべきだろう。

もともと、金正男は父親の金正日のもとで、海外資産運営を担当していた。金正恩体制になってからも、海外資産を握っていたのは金正男だ。秘密情報を握っているからすぐに粛清はされなかったが徐々に海外資産は金正恩の直轄に移されて行った。やがて身の危険がせまってくることは目に見えている。彼にとって保護を求める先があるとしたら、それはやはりCIAだろう。

金正男は多くの北朝鮮の秘密情報を握っていた。これをCIAに売っていたのだ。金正男の資金源はCIAだったのである。しかし、CIAとしても金正男をいつまでも飼っておくわけには行かない。いずれ北朝鮮に呼び返されるであろうし、そのときCIAの工作は全て暴露されてしまう。用済みになった金正男の口封じが必要になったのである。

CIAなら、マレーシアに一人で来いと呼び出すことは容易だ。あとは、朝鮮人のエージェントを使って筋書きどおりに女たちを集めてことを運べばいいだけだ。ことさら殺害事件が目立つようにしたのは北朝鮮によるCIA工作の暴露を封じるためである。CIAなら救急隊員の偽装などわけもないし、マレーシア警察には素早い捜査の援助をする。北朝鮮の仕業として発表すれば疑うものは誰もいない。

事件の謎をつなぎ合わせて、推理を組み立てて見た。これで全ての謎が解明される。あるいは、もっと面白い筋書きが考えられるかもしれない。

籠池さんに聞きたいこと [政治と金]

明日23日には、森友学園の籠池さんが国会に参考人として呼ばれる。自民党は、籠池さんと安倍さんは関係がないことを立証しようとする。野党は、自民党の政治家がからんでいることを立証しようとする。しかし、多分何の成果もなく終わるだろう。

「誰に裏工作頼みましたか?」なんて聞いてもまともな返事があるはずがない。答えざるを得ないことを聞くべきだろう。私ならこんなことを聞く。

①どうやって安倍夫人に名誉校長になってもらったのですか?
②誰の紹介で安倍夫人をタダで講演に呼べたんですか?
③いつから籠池夫人と安倍夫人はメル友なんですか?
④稲田夫に顧問弁護士を頼んだきっかけは?
⑤資金がないので貸借にしていたのに買い取りに切り替えたのはなぜですか?
⑥買取の金額が安いといつわかったんですか?
⑦借金があると認可されないのになぜ小学校を作ろうとしたのですか?
⑧借金があっても小学校ができるといつ知ったのですか?
⑨木造校舎で補助金がもらえるということを知った経緯は?

------------------------------ 結果 -------------------------------
期待はしていなかったのだが、いくつかの具体的な事実が出てきた。籠池なんて関係ないと安倍が断言していたが、安倍昭恵と籠池諄子は頻繁にメールのやり取りをし、事件発覚後も連絡を取り合っていたことが分かった。メールやFAXの内容について官房長官が釈明したりしているが、なぜそれをもっと早くに出さなかったのだ。籠池が暴露して初めて持ち出すこと自体が「関係ない」がウソだったことを示している。

100万円については、籠池証言が具体性を帯びてきた。封筒に入って金を渡したあと、帰りの車の中から電話をかけてきて「渡したことは公にしないで」と言われたと言う。金を入金した伝票にも、安倍晋三と書いたものが残っており、これが事件が発覚する前、籠池が熱心な安倍信者であった時のものだから疑いをはさみにくい。否定するには安倍昭恵が携帯の発信履歴を公開しなければならないだろう。安倍晋三の口座記録を公開すれば100万円が動いたかどうかもわかる。やらんだろうな。

証言の様子から強く印象に残ったのは、籠池が「上った梯子を外された」と意識していることだ。右翼偏向教育を評価されて、特別扱いを受けてきた。彼から見れば契約書の金額など問題でない。松井や安倍が嗾けたのだから右翼偏向小学校は開設が決まっていて、審査は形式にすぎないはずだった。国の格安土地も、籠池に小学校を作らせるための特別処置であり籠池はそれに乗っただけだ。ところが、世論が逆風になると皆が知らぬ顔をして、籠池だけが悪者にされた。それを怒っている。

政治家と言えば金がらみと決めつけるのは早計だ。籠池はそれほど金を持っていない。金の力で政治家を抱き込んだわけではなく。「右翼教育」と「安倍の賛同」を武器にして政治家を働かせ、官僚を動かしたのである。金以外にも利権はある。安倍とのコネなどもそれだ。安倍昭恵が名誉校長で、首相官邸から問い合わせがあったとなると、大阪航空局も値引きは最大限にしろと命じられたも同然だ。首相官邸からの直々の問い合わせに応じれば官僚としての出世の糸口になるからだ。

小学校教育というのは社会事業であり、金が儲かるべきものではない。借金で作って利益で返済するなどという構図が許されないのは当然だ。それをゆがめて籠池に学校を作らせたのは維新と安倍だ。安倍たちが籠池を使って特別扱いで「右翼教育」をやらせて、無理が生じた結果とも言える。安倍はこの学校を作らせたかった。100万円を渡して激励するくらいのことは当然やるだろう。

「金もうけ」を超えた制度設計 [経済]

資本主義の基本原理は「金もうけは善」にある。世の中の生産やサービスは、ほとんどが民間企業が儲けのためにやっており、それが社会の繁栄をもたらしていると解される。儲けを大きくするには良い製品を作らねばならない。他の会社との競争に打ち勝つためには、より良いサービスを絶え間なく開発しなければならない。儲けは社会に対する貢献の証であり、儲けた人は偉い人と言うことになる。暗黙の了解となっているようだが、もちろんこれに、はっきりとした根拠があるわけではない。

「世の中は金がすべてではない」と声高に叫ぶ人もいるし、これに同意する人がむしろ多いかもしれない。「金もうけは善」には、絶えず疑問が投げかけられている。しかし、こうした叫びは無力だ。確かに世の中は金を中心にして回っている。国の施策にしろ、研究や芸術作品さえも予算があってなり立つ。慰謝にせよ名誉棄損にしろ裁判ではすべて金額だ。全ての価値を金で測ることが粛々と行われている。

全ての価値を単一の尺度「かね」に換算してしまう事が社会の運営を単純化する。価値を金で表現してしまうと、いとも簡単に評価ができることになる。評価ができれば効率化も改革も簡単になる。世に言う「民営化」はもうけを最大にすることが、最大の効率だという原理に基づいて「新自由主義」が提唱されているわけだ。人の効率的配置も手続きの簡素化も確かに最大の儲けにつながる。

しかし、これも根拠のあることではない。儲けを最大にするには、低賃金が一番だし、手抜きさえも役に立つ。原発事故などは儲けを追及することが必ずしも社会への貢献になるとは限らないことの卑近な例になる。価値を「かね」で測ることは、あくまでも一つの便宜的手段に過ぎない。「かね」を中心にした社会運営にはおのずと限界がある。だからこそ「金がすべてではない」という声が消えずに繰り返されるのだ。

儲けの追及が駄目だとしたら何を社会の基本に据えればいいのか。儲けを基本にしない方策が試みられたことはある。「儲け」を通さず、直接的に国民の幸せを計画すると言う社会主義の経済運営は、結局のところ失敗に終わった。ソ連は崩壊したし、中国は方向転換した。これまで試みられた社会主義は、結局、官僚主義が蔓延っただけで、「競争」も「効率化」も失われてしまった。「かね」を媒介にした社会運営がまだしも有効だったのだ。人類はまだ「かね」に変わる指標を見出していない。一方で儲けを追及する運営は限界に来ている。これをどうするかが現代の課題だ。

ドラッガーが晩年に手を付けようとした課題が非営利組織の経営学だった。営利組織の経営は単純明快だ。儲かるようにすればいい。しかし、非営利組織は、そうは行かない。ドラッガーはいくつかのガイドラインを示しているが課題の整理に過ぎない。そもそもこれは、「かね」を中心とした社会の中で非営利組織をどう運営するかといった問題の立て方でしかない。「かね」では買えない価値を認める必要があるのだが、それを定量化することが難しい。

やはり当面重要なことは、儲けのルールを確立して行くことだろう。儲けは厳格なルールに従って追及されなければならない。低賃金には歯止めをかける。環境を破壊してはならない。こういったルールによって儲けが社会への貢献につながるようにする制度設計が重要だ。それが政治の役割である。
金もうけはそのまま善なのではない。ルールによりそれを善に向かわせる必要がある。

ルールの中で一番重要なのは「競争」の確保である。「儲け」を媒介にした社会運営の一番大きな利点は競争にある。「儲け」を目指して競争することで効率を上げられる。しかし、実際には、競争を妨げるものが多い。独占もそうだし、政治を使った利権もそうだ。一番安直な儲けは競争を回避することに尽きる。金権政治、腐敗と言われるものは、競争を回避する裏道を見つけようとするものだ。

重要なのは、ルール破りや競争の回避が常に画策されていると言う認識だ。企業は絶えず独占を狙うし、低賃金を画策する。利権ほど安易な儲け口はない。ルールが甘ければ、環境破壊もやる。国民はこれに対して常に闘わねばならない。実際、独占大企業というのは腐敗した政府以上に官僚的で悪質だ。利益追求が公認されているから始末が悪い。企業秘密ということで、その挙動すら隠蔽してしまう。

こうした「儲け」を「善」に向かわせる闘いを保証するものが民主主義だ。人々の意思が政治に反映されればこうした社会制度が維持されるのだが、現在の状況がどうかと言えば、非常に心もとない。人々の自覚は十分ではなく、小選挙区制など選挙制度にも欠陥があるが、情報操作がなされ、本来監視下に置かれるべき企業体が逆に権力を握る、政治を支配してしまっているのは「財界」だ。人々は政治の本当の役割をまだ認識していないのである。

二転三転-----稲田朋美の資質について [政治]

森友学園疑惑で、稲田防衛大臣の言うことが二転三転して問題になっている。「森友の弁護などしたこともない」と言った翌日に、裁判所に出廷した記録を突き付けられて弁護を認めた。「10年このかたあったことがない」と言ったが、籠池を表彰して表彰状を手渡していた。

これが全部、記憶の間違いであって、ウソをついたわけではないと弁明する。世の中のウソつきと言われる人は皆、自分ではウソと思っていない。籠池氏も3つの金額が異なる契約書を「全部正しい」と主張している。7億8千万以内で作らないといけないと言う思いを表したものだから正しいなどと、常人には理解できない論理だ。

稲田氏も多分にその傾向がある。自分の願望と事実の区別がつかないのだ。人間の資質などと言うことをとやかく言うのは好きではないのだが、稲田朋美は行政の責任者としての資質に欠けると言わざるを得ない。

稲田氏が右翼論客として登場して自民党議員になったきっかけは「百人斬り裁判」だ。捕虜や無抵抗の中国人を多数日本刀で切り殺して戦犯に問われた事件を捏造として争った。当時の記録を調べれば、事実は歴然としているのだが、「正義の皇軍がそんなことをするはずがない」「新聞記事の捏造に違いない」という思いで突っ走った。当然、裁判では敗訴だ。

ノーベル賞作家大江健三郎の作品にある沖縄での住民に対する自決強要事件についても、同じように思い込みで捏造だと言い立てた。これも、当然のごとく敗訴である。論理ではなく都合の良い思い込みで動く。結果的にウソつきになる。

南スーダンを視察して、治安は保たれており自衛隊の派遣に危険はないと報告したが、わずか3か月後に撤退となった。和平が保たれておれば「援助」だが、内戦ならどちらに味方しても「介入」になる。重要な判断だが「派遣したい」という思いが先行して事実が見えなかったことの表れだ。

政治資金の面でも、正直ではない。大量の白紙領収書を使っていたことが報道されたが、平気で居直った。都合だけを考え、真実とか正直と言う事の大切さが全く念頭にない人物なのである。

稲田も籠池も教育勅語の信奉者らしい。教育勅語は12もの徳目を羅列しているのだが、「嘘をつくな」とは書いてない。その意味で勅語に忠実なのではあるだろう。人間として大切な「命を尊ぶ」とか「正義を貫け」といったことも抜け落ちた欠陥文書を信奉している人に、行政の責任者である大臣を任せておくわけには行かないだろう。

日本に共謀罪がいらない理由 [政治]

テロ防止と言う名目で共謀罪が画策されている。政府は、以前にも共謀罪を導入しようとして国民の反発を買い頓挫した経緯がある。今回は名前を変えてテロ防止法などとしているが、中身は前と変わらず下原案では「テロ」という言葉が一言も出てこない代物だった。共謀罪には別の意図があることが明白だろう。

共謀罪の導入の根拠とされているのが「国際組織犯罪防止条約」である。実際、国際マフィアなどの対策として多くの国が共謀罪を導入している。ただ、この条約は各国がその国の実情に即して有効に国際組織犯罪に対応すればいいとしており、必ず共謀罪を導入しなくてはいけないわけではない。

日本の実情は、他の国とは決定的に異なる点がある。それは、銃砲などの武器所有が、それだけで犯罪になるということだ。アメリカなどでは、銃を持っていること自体は犯罪ではない。テロ組織が銃を持って多数集まっても、まだ犯罪にならない。銃を使ってテロを共謀して初めて犯罪の要件になる。だから、共謀を重視しなければならないのだ。

日本の場合、銃を持って集まればそれだけで十分に犯罪となり、取り締まれる。共謀罪など必要ないのだ。それだけではない。銃の所持が犯罪ではない国なら、むしろ銃の所持が共謀の証拠になる。共謀罪といっても、こういった犯罪の準備があった上での共謀であり、その適用範囲はおのずと限られることになる。

ところが、日本で共謀罪といった場合、これは何の犯罪準備もない純然たる共謀の罪と言うことになる。ただの共謀だけなら何も物的証拠となるものがない段階だ。「密偵」による潜入捜査あるいは「盗聴」が常套手段となり、「密告」が証拠となってしまう。共謀罪法案には密告した場合罪を許すと言う条項が用意されている。共謀罪の導入はこういった監視社会への道なのである。諸外国とは異なるのだ。

純然たる共謀が犯罪ならば、捜査対象は無限に広がる、「共謀するかもしれない」と言うだけで捜査の対象となるからだ。事前に「テロ組織」を定義することはは難しく、国会答弁でも「普通の団体がテロ組織に変わることはあり得る」などと言っている。つまり、普通の団体は全て捜査の対象となると言うことだ。

共謀罪は政府が警察を使って、すべての市民を監視下に置くことを意味する。政府の意にそぐわないすべての動きを監視し、好ましくないと判断されれば、いくらでも「別件」を持ち出して逮捕したり、捜査の過程で見つけたプライバシーを暴露することができる。政府がすべての国民の尻尾をつかんでおこうという仕掛けだ。実に恐ろしいことだ。
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