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イレッサ裁判(1)---これでいいのか  [イレッサ]

ガンの新薬「イレッサ」で副作用による間質性肺炎を起こし、多くの人が亡くなった。これに対して訴訟が起こり、地裁では国と製薬会社の責任を認めたが、高裁で逆転した。

争点となったことの1つは、副作用について十分な告知がされていたかどうかだ。製薬会社は薬剤に添付文書をつけ、これで副作用などの問題を告知する。医師はこれを読んでから薬剤を使用する。だから、添付文書が正しければ、医師が誤謬を犯さない限り副作用事故などということは起こらないはずだ。

イレッサ裁判は、この添付文書が不十分だったことを国と製薬会社の責任を追及するものだった。原告側は間質性肺炎が4つ挙げられた副作用のうちの最後で、これが死をもたらす重大なものであるという表示がなかったと主張した。

高裁判決では、添付文書には重要な副作用として間質性肺炎が挙げられており、順序が後であっても告知していることに間違いはないし、医師は間質性肺炎がどのようなものであるか熟知しているはずであり、死をもたらす可能性に言及する必要はないとした。

それではこの事件の責任は医師にあるかと言うことになるのだが、そう直線的なものでもない。医師にも名医から藪医者まであるから当然名医なら助かって藪医者なら死ぬ病気もある。しかし、藪医者であることは罪ではない。医師全員が名医でなくてはならないと言うことはないからだ。

だから医師の判断を裁判で問うのは非常に難しい。誰にでもわかる、絶対あり得ないような誤判断や手違いを犯した場合だけしか医師の追及はできないのが現実だ。原告の事例からは、医師の落ち度も見えるが、医師を追及せず国や製薬会社を告訴したのは卑怯だとする人もいる。しかし、医師を裁くことの難しさを知った上で告訴してみろと居直っているとしたら、そちらの方がよほど卑怯だ。限られた費用で訴訟を起こすなら、まず製薬会社を告訴するのが当然だろう。

もし、医者個人に対する訴訟が成り立つなら、資金のあるアストラゼネカが医者を訴えているだろう。開発資金のかかる分子標的薬であるのに、騒ぎのおかげで売上は最初から低迷したままだ。もちろん、高い値段で売っているからそれなりの売上はあるのだが、他の分子標的薬に比べれば、けた違いに売上げが少ない。

イレッサの副作用死は発売の初期の頃に多発した。大騒ぎになって、慎重に使われるようになってから、副作用死は激減している。「責任を取るほど不十分ではなかった製薬会社の文書」と「責任を取るほどいい加減ではなかった医師の判断」の谷間にはさまって800人もの人が死んで行ったということになる。

これでいいのかと思うのは僕だけではあるまい。これに続けてイレッサ裁判に対する疑問を少し書いて見ることにする。

--イレッサ裁判を読む--

イレッサ裁判(2) ----添付文書の実態 [イレッサ]

イレッサ裁判で問題となった「添付文書」と言うのは、薬剤に付属している説明書のことだ。これには、用法とか効能とか副作用が書いてある。イレッサの場合、「重大な副作用」として挙げてある最後が管質性肺炎(頻度不明)だった。

添付文書には通常、どんなことが書いてあるか。リウマチでほとんどの患者がブシラミンを処方されるが、通称リマチルといわれるこの薬の添付文書を見て見ると、8項目で、肺、腎臓、肝臓、筋肉、心臓その他に表れるありとあらゆる症状が羅列されている。

この中に間質性肺炎も挙げられており、発生頻度は0.03%となっている。1万人に3人しか発生しないものもしっかり書いてあるのだ。つまり、製薬会社は少しでも可能性のあるものは何でも「重大な副作用」として書いておく。これに書きさえすれば、責任がなくなる免罪符のようなものである。こんなものを全部まとも覚えているわけには行かない。頻度の高そうなものをチェックして、あとは変な症状が出てきたら考えるというのが現実的な医師の対処の仕方となる。

リマチルには発生頻度0.03%が数値で示されているが、イレッサでは頻度不明になっている。文法的には頻度不明は高率発生も含まれるというのが裁判所の解釈だろうが実際にはそうではない。

間質性肺炎は原因もよく解明されておらず、多くの薬に副作用として登場する。間質性肺炎(頻度不明)が書いてあるのは、例えばリピトールのような薬だ。リピトールはコレステロール過剰な人に処方され、小太りのお医者さんは、よく自分にも処方している。リピトールの副作用として筋肉痛などはよくあるが、多分自分に処方している医者でも間質性肺炎は気にかけていないだろう。「頻度不明」とは「多くない」と同義語になる。

間質性肺炎は、多くの薬剤にあまりにも頻繁に副作用として挙げられているために、頻度の少ない場合は、他の併用する薬剤と原因が分離できないので「頻度不明」になることが多い。薬剤に副作用は多かれ少なかれ必ずあるのであるし、多くの患者を診察しなければならない臨床医が、実際のところ間質性肺炎(頻度不明)にまで気を使う余裕がないのは当然とも言える。

裁判所は添付文書を文法どおりに読んだが、臨床医は経験が豊富であればあるほど、用例に即して読む。実際には5.4%の高率で間質性肺炎が発生した。間質性肺炎も原因性のものは、そう予後が悪いわけではない。原因を取り除けば治療も難しくはない。だから、治験の時に現れた3症例はいずれも大事には至らなかった。

もともと肺に病巣がある患者さんを相手にしているのだから、注意深く見なければ間質性肺炎を進行させてしまうのも仕方がない。しかし、高頻度に間質性肺炎が起こることを知っておれば対処も早い。実際、この副作用が大きく報道されてからは、死亡率が激減している。はじめから5.4%の高率で起こる副作用があることが、明示されていたら、事件は起こらなかったにちがいない。

添付文書がアリバイ的に作られてしまっている現実、そして高率の副作用発生を明示しなかった文書記述。これが事件の原因だということはあきらかではないか。


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イレッサ裁判(3) ---治験と副作用 [イレッサ]

イレッサで多くの間質性肺炎が発生することは予知し得なかったというのは成り立たない。実際には5.4%の発生率だったわけだが、102人の治験で副作用が見出されない確率は計算してみると0.34%しかない。治験で必ず見つかると言っても良い。

事実イレッサ承認審査の報告書によれば、治験の段階で国内患者102人中に3人の間質性肺炎が発生している。それでも、アストラゼネカ社は、これを否定して、癌性リンパ管炎などガンの症状が進行しただけで、間質性肺炎ではないと主張した。論拠として、一件については死後解剖して間質性肺炎の所見が得られなかったことを挙げている。

しかし、2件については解剖であきらかな間質性肺炎の所見が得られているし、一件については、間質性肺炎が治癒してから2ヶ月経っての死亡であるから倍検で所見が得られないのも当然である。担当医も間質性肺炎の診断をしているし、審査官も間質性肺炎の副作用があることを否定できないと結論付けている。3件ともステロイドで治癒していることからも、間質性肺炎であることに疑いはない。一応、このことは審査報告書にも書いてある。

一般に、原因性の間質性肺炎はそう予後の悪いものではない。死亡するのは相当悪化するまで対応しなかった場合に限られるから、治験で死亡例が現れないのも当然だろう。副作用が多いとわかってからは死亡例が少なくなったのも同じ理由によるものだ。

国内で102件中3件であるし、国外では108件中4件の間質性肺炎が発生したのだから、これは大きい。リマチルの0.03%とは、違うレベルの副作用だ。副作用が少ないことが売り物の新薬として鳴り物入りで登場した手前、副作用を認めたくなかったのだろう。アストラゼネカ社は主張を変えず、結局、妥協点として「頻度不明」として添付文書に掲載したのが事の次第だ。

審査側の問題は、こういった会社の主張に妥協したことだろう。間質性肺炎の初期症状は息切れやカラ咳などだか、肺ガン患者はもともとこういった症状を持っている。治験でさえも、副作用でなく単なる病状の進行だとする主張がなされたくらいだ。このことで、逆に注意がなければ間質性肺炎の発見が難しいことがわかるはずだ。

治験だけで言えば発生頻度は3%なのだが、これが併用した薬剤を間質性肺炎の原因だとするなら、その発生確率を分析すべきであるが、これは行われていない。おそらく具体的な混入の可能性を特定できなかったのだろう。他の薬剤による副作用の混入が疑われる確率分析結果なら、治験の枠を広げて再度行ってから認可すべきだったのである。

治験は安全性の確認が目的の一つなのだから、いい加減な妥協は許されないはずだ。そのまま「頻度不明」で認可すれば、何が起こるかは殆ど自明ではないか。3%が間質性肺炎になり、その多くが間質性肺炎と診断されずに経過する。当然ながら、手遅れで副作用死も出てくる。実際の臨床では5.4%という発生率を示した。そして多くの人がなくなった。

多くの人が一日も早い認可を望んでいる夢の新薬だから、副作用不明のままでで認可したのだと言ういいわけはおかしい。治験の目的が失われている。治験では副作用を全部見出すことはできないから、予知できなかったと言うのも明らかにおかしい。ちゃんと治験にも間質性肺炎の副作用は出ていたのだ。通常の「頻度不明」とは異なるレベルの副作用があることを明示しない理由は、「副作用が少ない夢の新薬」と言う売り込みを妨げるという営業上の問題以外に何もなかった。

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イレッサ裁判(4) ---イレッサは効く薬なのか [イレッサ]

治験に基づく薬剤の承認で、日本の体制は悪名高い。免疫力を高めてガンを克服する薬として承認されたビシバニールやクレスチンは1000億円以上を売り上げたあとで、効能が無いことが明らかになった。抗がん剤の承認基準というのはそれくらいいい加減なものなのだ。

こういったものに比べればイレッサはまだましで、副作用死も現在はかなり少なくなっているし、「正しい使い方」をすればそれなりに有用な薬品であるというのが一般認識になっていることも事実だ。しかし、裁判で争われているのは、多くの副作用死を生み出した発売時点での事だ。その効用はどのようなものだったのか?

発売前から、分子標的薬として期待され、「副作用のない夢の新薬」としてもてはやされた。ところが、治験で得られた奏効率は国内で17%国外では9%でしかなかった。延命にはほとんど役立たない。分子標的薬の白血病抗癌剤として先行したイマチニブの場合、奏効率で言えば85%であり75%が寛解するという「夢の新薬」にふさわしい治験結果が得られていたことに比べてあまりにも見劣りが大きい。こんなもので認可していいのかと言う疑問は審査委員の中からも出たことが議事録からわかる。分子標的薬の作用機序から考えればこんなにも効かないというのはおかしいという議論も当然あった。作用機序の理解が間違っているのではないかという事も指摘された。

にもかかわらず、わずか6ヶ月で日本での認可が下りた。アメリカで認可されたのは1年も経ってからだし、ヨーロッパではプラセボとの有意の差が証明できずに認可申請を取り下げることまで起こった。当時、イレッサはそれほどまでに効かない薬だったわけだ。それを無理やり異例のスピードで認可したのは明らかな拙速である。

後日わかったことは、作用機序が間違っており、イレッサは実は、EGFR遺伝子変異をもつ非小細胞肺癌に対してのみ効力を発揮する薬だったということだ。適応症を限定すれば95%の奏効率を示し、確かな効力があるのだ。だから現在もイレッサは使われ、こういった限定された適応症の人たちは恩恵をこうむっている。これを逆手に取って、イレッサ裁判はイレッサで恩恵を受けるべき患者の権利を踏みにじる行為だと非難する人たちまで現れているが、それはお門違いもはなはだしい。

しっかりと治験を行い、正しい適応症を同定し、副作用についても発生率を明らかにしてから認可すべきだったと言う主張のどこに問題があるのか。発売が、1年遅れたとしても、現在イレッサの恩恵にあずかっている人たちには全く影響がない。発売当時の適応症に対しては「効かない」薬だったのだから、もちろん当時としても、認可の遅れが問題ではない。

効かない薬を飲まされ、その副作用で殺された人たちが何百人も出たことこそ大問題なのだ。

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イレッサ裁判(5)---事件の本当の原因 [イレッサ]

前回までの記事からもわかるように、イレッサ事件は、拙速な治験と認可で引き起こされた。十分な治験を行い、適応症と副作用がはっきりしてから承認しておれば、イレッサは事件なく受け入れられたものだ。

問題は、なぜそのような拙速を犯したのかということだ。薬剤の認可に時間がかかることで定評がある日本が、なぜアメリカに1年も先行して、わずか6ヶ月の審査で承認したのか?この問いに答える推論を提示してみよう。いまのところこれを裏打ちする資料はそろえ切れていないことをお断りしておく。

日本の薬事審査が遅かった原因の1つは体制にあった。1997年までは厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会が医薬品を承認し、実際の審査は厚生省の職員が行っていた。10名程度のお寒い状態ではあった。いわゆる行革を利用して、この年に「医薬品医療機器審査センター」が、独立行政法人として発足し、200名以上の体制で審査に取り組むこととなった。公務員を減らすと言う名目で、ちゃっかり天下り先を肥大化させるという行革官僚の常套手段だ。

この「改革」の成果を示すためには、話題になった分子標的薬で、すばやい承認のパーフォマンスが必要だったことはうなづける。それだけではなく、実はこの「改革」が審査の質的な変化も、もたらしたのである。新しい体制は開発促進者が規制を担当するという原子力保安院と同じ構造のものとなった。このことは、イレッサ審査を進めたF氏が現在国立がんセンターの臨床試験・治療開発部長になっていることからもわかる。開発推進と安全審査が一体となれば何が起こるかは歴然としている。審査センターは小泉内閣の規制緩和路線に乗っかって、迅速な審査というより、合格ありきの審査を進めたのだ。

開発側にも事情があった。多くの分野で貿易黒字がある日本で、医薬品に関しては大幅な赤字となってしまっており、日本発の特効薬剤など絶えて久しい。低迷する薬品産業をてこ入れすることがいわば国策となっていたが、研究費も人材も格段に優遇されている医学分野で、もはや言い訳は認可体制しかなくなっていたのである。この治験には、S氏、F氏といった日本の医学界を代表するような人たちが、早くから取り組んでいた。医学界も分子標的薬の迅速な認可を推し進める意欲に駆られていたのである。

分子標的薬の開発は、とにかく多くの物資を試して見ることが必要な絨毯爆撃的な研究手法が通用する。アイデアと工夫ではなく、金を出せば研究が進むといった類の分野だ。医学界はこれでさらに金回りがよくなる事を約束されていた。山中氏のノーベル賞も、天才の独創的なアイデアで得られたこれまでのノーベル賞とは少し異なり、戦略的に生み出されたノーベル賞だから、実はこの延長線上にある。政府も学会もこれに賭けるところが大きかったのだ。

迅速な審査で、分子標的薬開発を促進することが、国と医学界の必須事項になってしまっていた。このため審査期間中にも薬剤費を自己負担すれば治療に使えるという超特例処置まで取られた。これも異例だ。こういった処置は、副作用が無いガンの特効薬という触れ込みを広げ、肺ガンだけでなくありとあらゆるガン患者に投与する事態が起こった。

その結果、この6ヶ月だけでも240名が間質性肺炎で死亡するという大規模な副作用事故を起こしてしまった。当然の事ながら訴訟が起こり、国と製薬会社の責任が問われることになった。地裁での一審判決は原告の主張を認めるものであり、原告側の負担を考慮して上告せず和解するように求めた。裁判所のこういった動きは明らかに国策に反するものだ。だから、国側からの反撃が起こった。

厚労省医薬食品局が6つの学会に対して「下書き」を示したりして声明を出すよう働きかけ、日本医学会、日本臨床腫瘍学会、日本肺癌学会が「開発意欲を無くす」「開発および承認までの期間がさらに延長する危険をはらむ」「新薬へのアクセスを阻害する」などという声明を出した。厚生省の指示ではなく学会が独自に決めたと言うが、厚生省の働きかけがなければ声明を出すことまでしただろうか。見事なまでの「官産学」連携である。

国は和解を拒否し、上告した。学会声明などをバックにイレッサ裁判バッシングが組織され、裁判所はこれを受け入れて、上告審ではことごとく地裁判決を翻して国と製薬会社の責任を否定した。これが、イレッサ裁判で起こった事の本質である。まだ最高裁での審判があるが、国策判決はおそらく変わらないだろう。最近やっと衝撃的な事実が明らかになった、ジフテリア禍事件は、予防接種法の発足時に有効性を示すための焦りが引き起こしたものだった。ジフテリア禍事件が長く隠蔽されて来たように、この事件の本質も長く隠されて行くだろう。これが日本の現実である。


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