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福島第一原発--事故は人災 [原発]

3月11日、地震報道の直後に福島第一原発の問題が発生した。原発保安の基本中の基本である非常電力が確保できないと言う事態だった。

原発立地で必ず出てくる疑問が地震の対策だ。原子炉自体は制御棒が入って停止するだろうが、炉心が冷却されるまで冷やし続けねばならない。冷却水は緊急用の発電機で供給することになっているが、それが故障したらどうするか。これは何度も住民から質問されたはずである。何台もの発電機があり、十分に余裕がとってあるから冷却水が不足することはありえないと回答していた。

ありえないはずのことが起こった。しかも、第一原発、第二原発の両方、つまり地震に会った原子炉の全てに起こった。その後の発表もひどい。温度も圧力も上がり続けているのに、不足する冷却水で冷やしているから安心しろということだった。この時点でもうダメで、これは行き着くところまで行くかと思えた。金属材料は高温高圧に弱い、弱い放射能を撒き散らすことにはなるが、圧力を抜くしかない。ところが、東電は原子炉からの放射能放出ということを避けることにこだわり、なかなか保護容器を開放しなかった。

そのうち、制御室での放射線レベルが上昇したということが報道された、NHKの解説では何も説明しないが、これは圧力が上がりすぎて配管の一部が破損して放射性の冷却水が漏れ出したということになる。そうすると冷却はますます難しくなるはずだ。午後3時過ぎになって、やっと保護容器の圧抜きが実施されたという報道があった。この保護容器の開放で撒き散らした放射能は公表されていないがかなり大きいはずだ。正門前で1ミリシーベルトとしか報道がないが、大部分は上空大気に放出されている。多分2,3日中にあちこちで放射能が観測されるはずだ。実際すでにかなりの範囲で放射線が観測されているが隠しているのかもしれない。

6時ころになって、爆発の報道があった。あとから実はこの爆発が保護容器の開放直後だったと発表された。手遅れだ。半日前にやっておくべきだっただろう。炉心溶融が始まると炉心の温度はさらに高温に暴走する。配管から漏れ出した高温の水蒸気で発生した水素が爆発したに違いない。ここで、今度は海水による冷却を始めたという。海水を入れて冷やせるならもっと早く入れるべきだっただろうが、海水冷却については実行するまで全く報道されなかった。海水を炉内に入れて海に流すようなもので、広範囲の海水の汚染が当然起こる。しばらくは近海の魚が食べられなくなるかもしれない。その後直接の放射線量が減ったことから、保護容器も炉心も本体は破壊されていないと思われるが、配管などが破損しているから、放射能のさらなる流出は避けられない。

放射能被害は長引くだろう。陥原発を放置していたために大きな代償を払った。欠陥の大部分は人災といえる。おそらく現場では早期に圧力を抜く意見が強かったはずだ。ぎりぎりまでそれをとどめた「経営判断」こそが最大の人災だし、予備電力をけちついた設計そのものがやはり「経営判断」の人災である。情報を小出しにして、一言毎に「人体には安全です」を繰り返し、そのくせ事態がどんどん悪化するというのは大本営発表の再来でしかない。政府はもう少し正直になる必要がある。

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原発の自衛隊----この期に及んでパーフォマンス [原発]

震災と福島原発の報道で目に見えて活躍が目立つのが自衛隊で、予備役召集とか非常時訓練を兼ねて、とっても元気。なにしろ救援物資を運べるのは自衛隊だけの情況だ。何故か飛行機や防護服は消防署にも警察にも無く、持っているのは自衛隊だけだし、自動車でさえガソリンがあるのは自衛隊だけだからだ。自衛隊は決して備蓄したガソリンを放出せず専有したままにしているから他の物流は滞り、自衛隊様にお願いするしかない状態が続いている。

原発の使用済み燃料の冷却にはとうとうヘリコプターからの水の投下などという事をはじめた。2000トンある水槽への水の補給に一回2トンの投下がどれだけ効果があるかは計算しなくてもわかる。そもそも屋根の穴から水槽に入るのは投下したうちの一部にすぎない。4回で止めてしまった所からも、これが単なるパフォーマンスであったことは明瞭だろう。

その上、80mシーベルト/hの放射線をいとわぬ決死隊であるかのような前書きをつけての全国テレビ放映だ。自衛隊の献身的な勇気有る行動に全国民は感謝して防衛費を増やせとアピールしている。しかし、防護服をつけ、鉛板を下敷きにして被爆を1/10にしたヘリで上空通過時に水を落とすだけだからせいぜい1分だ。80X(1/60)X(1/10)=0.133mシーベルトが被爆量になる。一方、25kmで「屋内退避」を強いられている何万人もの住民は0.01mシーベルト/hながらも24時間さらされている。これは一週間で1.68mシーベルトになるから、「英雄的な」自衛隊員の10倍もの放射線を浴びていることになる。米軍すら逃げ出す30km以内圏で、じっと我慢している屋内退避者のほうがよほど英雄的なのだ。

この期に及んで政治的パフォーマンスは勘弁してほしい。

こういったパフォーマンスとは裏腹に、日本に軍備がいらないことが今回の地震でも確認されたと思う。戦争は「銃」と「銃後」で行われる。30年戦争の時は空襲にあったり、食料不足に会いながらも「銃後」はある程度持ちこたえた。あのころは農業も健全で食料自給が出来たから交通網が遮断されても生きていけた。暖房も木炭があれば一応は凌げた。今は、道路が寸断されれば飢えるところばかりだし、ガソリンが足りないだけでも干上がる。今の日本の「銃後」は極端に弱いのだ。とても戦争など出来ないことが明らかだから、軍備など持つだけ無駄である。平和外交に命を掛ける真剣な努力が必要だろう。

--------------------------<後記>-----------------------------
震災復興予算の中に 自衛隊輸送機の7機(400億円)が入っている。なんでこれが「復興」なんだ?

コメントとして自衛隊が病院などにガソリンを提供したサンケイ報道の指摘がありました。これも少量でパフォーマンスの一環ですね。運輸会社のトラックに軽油の提供はされず、「自衛隊だのみ」が続きました。

福島第一原発の放射能---どこまでが「安全」なのか [原発]

地震による福島原発事故以来、盛んにテレビは「安全だ」を繰り返している。そのくせ避難勧告が出たり、米軍が立ち入りだと逃げ出したり、いったいどれが本当に安全なのかわからなくなっている人も多いだろう。

一口に放射線といっても、その正体は中性子であったり、放射性物質であったり、ガンマ線であったり、様々で中々一まとめにして議論しにくいし、体のどの部分かでも被害はちがう。単位すら多岐にわかれていてわかりにくい。以下に書くことは少し乱暴な一まとめをしているのであくまでも目安だと思って欲しい。

放射線の被害は短期と長期に分かれる。短期被害については大体次のようにまとめられると思う。単位はミリシーベルトで、まあ原発で緊急作業している人も含めて「安全」というのはウソではない。

胸部X線1枚                    0.1
原子炉の注水ヘリ                1
原子炉の注水消防車              5
被爆地への物資輸送             10
胃の透視一回                 15
X線CT一回                   20
ガン発生が確実に増える          200
白血球の減少                250
急性放射線障害              1000
放射線死亡が始まる            2000
半数が放射線死亡する          5000

放射線のもう一つの問題は長期被害だ。こちらの方は実験データも確実なものがないのではっきりとはいえないが、上のガン発生率は線量に比例しており、200mSV以下でも急にはゼロにならないことは想像がつく。放射線は微量であっても浴びないに越した事はない。一方で、放射線は自然にも宇宙線など空から降ってきたりするのだから微量なものを気にするのも現実的ではない。だから放射線作業に当たる人は法律で年間の被爆量をコントロールしなければならないと定められている。これを現実的な安全基準として長期の被害に関しての比較表を作って見ると以下のようになる。単位に「時間当たり」、「年間」という割合が付いていることに注意。

                     mSV/y          μSV/h
この辺りの環境放射線         0.4         0.05
標準的な自然被爆          2.4          0.27
高地での自然被爆          5.0          0.57
50kmでの一般市民          8.8          1.00
研究所での規制値          20.0          2.28
放射線作業従事者          50.0          5.71
30kmでの屋内退避          87.6         10.00

と言うことになる。屋内退避が1年続けばこれはやはり安全とは言えない。しかし、少し離れたところになると慌てて逃げる必要はなく、この先の様子を見ることにするべきだろう。今後の生活とか全体的なことから、他へ移ろうとするのも妨げる理由はない。1号炉や3号炉の爆発は放射線の数値と符合せず、容器が破損していない証拠に見える。この線量の多くは二号炉の破損によるヨウ素、セシウムで、爆発で拡散したあと、ゆっくりと減少しているから無くなるまでにはかなりの時間がかかるからだ。4号炉の使用済み燃料の損傷だと注水でかなり減るだろう。

今回の広報で不信を招いているのは長期被害と短期被害をごちゃ混ぜにして、一回限りのCT検査と24時間晒される屋内退避を単位抜きの数値で比較しているからだ。1年当たりにすれば原子炉に水を掛けるヘリコプターなどの被爆は微々たるもので、21kmでの屋内退避を強いられている人たちのほうがはるかに厳しい状態にある。あくまでも通常の放射線業務の範囲内で作業している自衛隊員を「決死の覚悟」と褒め称える一方で、30km範囲で不安な人々に「安全です」と言うことの矛盾。ダブルスタンダードが混乱の原因だ。

福島第一原発の注水-----よくやったぞ 消防庁 [原発]

事故発生以来、後手後手に回り、事態は悪化するばかりだったが、初めて沈静化に一打を放った。東京消防庁が3号炉への13時間連続注水で使用済み燃料を水面下に閉じ込めた。これは快挙だ。自衛隊のヘリコプターを使った僅か1分のパーフォマンスとはわけが違う実効ある量の水を注入した。

最大27mSVの放射線を浴びたが消防庁の部隊は蛮勇を奮う決死隊ではなかった。緻密に計画して放射線作業従事者の上限である年間50mSVの半分に収まっているから、これは決して心配するほどの被爆ではないので家族の人も安心して欲しい。(日本人平均33%のガン発生率が、33.01%になるからゼロリスクではないが、消防士の他のリスクに比べて極端に大きくはない)

賞賛したいのは決死隊の蛮勇ではなく放射線を浴びずに任務を遂行した技量と知識だ。同じような連続放水は報道されたように自衛隊も計画したが怖くて出来なかった。車両から一歩も出ずにあまり効果のない地上放水をしただけだから3mSVしか被爆していない。放射線作業は下手をすると被爆量がすぐに1桁上がってしまう。自衛隊にはこれでも十分に恐ろしいものだっただろう。

自衛隊が怖くて尻込みした送水管の人力による接続をなぜ消防庁が出来たかと言うと、やはり普段からの訓練と放射線知識だろう。沈着冷静にしかも迅速果敢にこの作業をおこない、30mSV以下の安全範囲でやり遂げたのは立派だ。人殺しが本職である自衛隊との明らかな差を見せ付けた。

災害救助にはやはりプロの力が大きい。自衛隊の定数を減らしてもっと消防の人員を増やすべきだろう。

福島原発----想定範囲の地震で起こった惨事の原因 [原発]

福島第一原発の事故はマグニチュード9.0の未曾有の大地震によるものとされているが、直下型ではないので、実は震度6強の想定内の地震でしかない。では、なぜこのような惨事になったのだろうか。それを考えてみよう。

この原発に着工したのは1967年、原研による原子力開発が安全重視でなかなか実用炉に進まないことに業を煮やした政府が、民間企業による直接建設を決めた。全く原子力に何の経験もない日立、東芝が建設を担当し、ゼネラルエレクトリック社の図面どおりに作ればなんとかなるとして建設したものだ。アメリカの外圧に弱い国策の間違いが根底にある。

もともとのGEの設計にはもちろん地震など考慮してなかったのだが、日本が地震国であることは知られていたので、とにかく頑丈に作る配慮はなされた。当初は津波に関しては全く考慮されなかった。チリ地震津波などもあったので、津波に対する検討も後には行われたが、波の圧力に対しても十分耐えうるという評価だった。事実、今回の地震に関しても原発建屋はびくともしていない。確かに強度は十分に設計されていた。

原発は何重にも安全装置が施され、地震の場合は有無を言わさず制御棒が挿入されて連鎖反応は停止するように作られている。これはうまく働いた。しかし、停止しても崩壊熱は続く。元々が百万Kwの大熱量を発生するものだから1万分の一なったとしても100kWだから、非常に大きな発熱が続く。どうしてもこれを冷却する必要がある。

これにはECSSと呼ばれる緊急冷却装置があり、原子炉の各部を冷却する仕掛けが、何重にもあり、1つや2つの故障ではびくともしない設計だ。しかし、ここに一つの大きな盲点があった。これらの装置は全て電気で動くので電力がなければ、何重になっていようと関係なく働かなくなる。

なぜこれほどまでに電力に頼っていたか? 原発は大電力の発生装置であり、しかもここには6つの原発があるし、すぐ北にも第二原発がありその全てが動かなくなるという発想が無かったといえる。だから近隣の東北電力から受電するという配線は考えられていなかった。しかし、地震に対しては有無を言わさず全ての発電機が止まるのだから、実際には発電機が全部止まり、完全な停電になるのがむしろ当たり前だろう。

原発は用心深い。もちろん全停電も想定外ではなかった。8台のジーゼルエンジンによる非常用発電機が用意されていた。頑丈な建物に保護されたこれら全ての発電機が故障するとは考えなかったのだ。非常用発電機は波を被ったくらいで壊れるちゃちな作りはしていない。しかし、事実としては8台全部が故障した。

なぜ、8台全部が故障したのかまだはっきりとはわからないが、おそらく、地震発生と同時に停電し、直ちに非常用電源に切り替わったのだろう。なるべく早く電源を起動するという発想が大間違いだった。その後の経過をみれば直ちに非常電源を使う必要はなく、1時間くらいは停電のままでよかったとも言える。

地震が起きて、非常用発電機が運転を始め、しばらくしてから津波がやってきた。高圧電気を発電中に導電性の塩水を被ったのではたまらない。あちこち火花が飛び、放電で部品が溶解してしまっただろう。発電機はちょっとやそっとの修理では修復不可能な損傷を受けた。

最後の砦は電池による8時間の運転だった。燃料の冷却には何週間もかかるのだから8時間で足りるはずがない。訓練ではいつもすぐに発電機の故障が短時間で直っていた。しかし、交通が寸断された状態では部品の調達もままならない。誤操作で大きな損傷を受けた非常用発電機が8時間以内に回復することはあり得ないことだった。都合よく想定しすぎたと言える。

ECSSが働かなくなって、停電が長引くとしたら、もう海水を入れて炉を水浸しにする以外に打つ手はない。原子炉の底は建屋の地下部分にあり、海水レベルより低いからバルブを開ければ海水が入る。これにポンプはいらない。格納容器にある程度水を入れれば、炉心の少なくとも底は冷やされる。もちろん保護容器の内圧が上がれば海水も入らないのだから、空中に放射性の排気をするほかない。

この決断がなかなかなされず、他に打つ手がないのに一日以上長引いた。圧力が上昇するギリギリまで何も手を打たず、補償問題を恐れて排気すらしなかった。このために炉心溶融を起こしてしまった。おそらくこの時、保護容器本体は無事だったとしても配管などに穴が空いて放射能が漏れ出した。熱変形と高圧のため配管継ぎ目のフランジから漏れが発生することは過去の原発事故でもよく起こっている。中央制御室での放射線量の上昇が報道されているから漏れが起こったことは間違いないだろう。

漏れ出したのは放射能ばかりではない。高温になった燃料表面での水蒸気の分解で生じた水素が建物上部に漏れ出して溜まった。やがてこれが爆発し建物上部が吹き飛ぶと言うことになって放射性物質が飛散した。スリーマイルアイランドを上回る惨事になった。この時点になってやっと海水による冷却に踏み切った。時すでにおそしである。

長引く停電は、使用済み核燃料にまで危機をもたらせた。水漬けにしてある使用済み核燃料も発熱はあるからプールの水は冷やさなければ温度が上がってくるし、蒸発も多くなる。しかし事故の対応では使用済み核燃料のことは忘れ去られてきた。4号炉には1千本を越える大量の燃料棒があった。これも水素爆発が起こるまで放置されたあげく、焼け石に水の放水パフォマンスが演じられた。東北電力からの電線がつながり、なんとか回復のきざしが見えだしたのは10日も過ぎてからのことだった。

こうして原子炉はすべての冷却手段を失い。炉心溶融から放射性物質の放出に至るこの型の原子炉では最悪の事故シナリオに陥ってしまった。炉心や格納容器の気密も破れ、スリーマイルアイランドの一桁上の放射能をばら撒く結果となった。周辺の被害が甚大なものとなっただけでなく、日本全体も沈没に引きずりこんだ。

決して想定外の大地震ではなかった。想定の中身が甘かっただけである。安全に絶対はない。ここまでは大丈夫だという限界を明確に示しておくべきだと思う。今回の事故も、安全確保シナリオを公開して、一般の意見を求めておれば、誰かが疑問を呈したに違いない。世論の批判を恐れて「専門家」のお墨付きを盾に一切を隠すやりかたが根本的な間違いを招いた。非常用発電機が海側に配置されていることの不具合などは素人でも気が付く。安全には民主主義が必要なのだ。

ほうれん草は食べられないか---暫定基準の不合理 [原発]

茨城県産のほうれん草に暫定基準を越えた放射能が検出され出荷停止になったという。暫定基準値というのは2000Bq/kgだと言うから、これを全部食ってしっかり体内に残ればホウ素が崩壊してなくなるまでに合計44μShの放射線を浴びることになる。

一方で空気中のホウ素も通常値をはるかに越える0.3μSh/hが東京でも日々記録されているから特にほうれん草を食わなくても呼吸で空気を吸い込み、一週間で72μShを浴びていることになる。誰もほうれん草を1kgも食わないし、大抵生で食べずに洗ってしかも茹でるから、放射線はこの一桁下である。普通に食い続けても今更気にするほどのこともない値だ。

ほうれん草の放射能に関しては政府が言っているように「直ちに健康に影響がない」。もっと正確に言うなら「いまさら気にするほどの値ではない」が正しい。それでも、法律で定められているのだからということで出荷停止にするという処置が世の中を不安に陥れている。出荷停止では「危ない」としながら、国民への説明としては「危なくない」というダブルスタンダードが問題なのだ。

この「暫定基準」というのが明らかにおかしい。これがどのようにして決められたかというと実は何の根拠もないのだ。まさかほうれん草を食って実験するわけにも行かないし、事故による記録もそんなに事例があるわけではない。だから1986年に必要が生じたときに「識者」を集めて適当に決めた値だ。

1986年にチェルノブイリ事故が起こったとき、農産物の輸入に検査値基準を適用した。ウクライナの農民が出荷に困ろうが知ったことではない。なるべく厳しく決めてしまえということになった。

当時、ソ連の原子炉と日本の原子炉は根本的に異なり、チェルノブイリは日本の原子炉と関係がないと宣伝され、チェルノブイリ事故に関しては大きく被害を強調することが推奨された。ウクライナの野菜は基準値に引っかかったほうが良かったのだ。1976年のスリーマイル事故の時はかなり扱いが異なる。この時はアメリカからの輸入野菜について何の議論もされなかった。

国内の基準については正式に議論されたことは無く、輸入制限値がそのまま暫定基準として使われることになった。国内でも温泉などで放射線のかかる野菜もあるのだが、まあこのくらいなら引っかかることがないだろうということで引き継がれた。原発事故の場合など想定していない。だからちぐはぐな値のままなのだ。

そういったいい加減な政治のあおりで風評被害を受ける農民はたまったものではないだろう。振り回される消費者も同様だ。

福島原発はこれから [原発]

福島原発の事故が起こって、最初の時点でこのブログでは「行き着くところまで行き着く」と予想した。決して想定外の大災害ではないから、まともに災害に備えておればこんな事は起きなかった。初期段階で手早く海水冷却に切り替え、まともに対応していればこんなことにはならなかった。しかし、とてもまともな対応は期待できなかった。だから行き着くところまで行き着くだろうと予想したのだ。

結局、軽水炉の事故として最悪の事態に陥った。炉心も格納容器も気密が破れ、燃料の被服も破れている。これはまあ、このブログにも書いたように事故の3日目くらいにわかっていたが、政府はかたくなに否定して国民向けには隠されたままになっていた。

最近になってそれが少しずつ明らかにされているが、決して新たに事故が進展したわけではない。その点ではこれ以上の心配はいらない。事故はすでに尻拭いの段階になっている。ただその尻拭いが当然大変なだけだ。放射能の漏洩はだらだらと続く、だから土地や海の汚染は広まる。

燃料棒を取り出してしまうまで、まだこの先は長い。不用意な原発運転がどれだけの被害をもたらすかを思い知るべきだろう。原子力を怖がれというのではない。怖がっても意味がない。恐怖は時間が経つと忘れられるのだ。怖がるだけでは電力不足が10年も続けばまたぞろこのままの原発が復活する。また事故を繰り返すだろう。

学ばなければならない。原発災害に対する備えは、万人の知恵を結集する。情報は隠蔽せず全てを明らかにする。安全のための議論は誰からのものでもいつでも受け入れる。備えには金も努力も惜しまない。そのようなことを確立することが求められている。はたして我々日本人にそれができるだろうか。

原発事故の「信頼できる情報」 [原発]

原発事故の報道の中でデマに惑わされないように、しっかり政府広報を聞くことが大切だと繰り返されている。しかし、政府広報なるものが果たして信頼できるものだろうか? 信頼されていないというのが現実だ。

不動産屋に物件の事を聞けば必ず「お買い得」だと言う。別の物件のことを聞いてもやはりお買い得と言われるとだんだんわからなくなる。これは不動産屋には売り買いさせて利益を挙げようという魂胆があるからで、聞く側は相手の立場を割り引いて受け取らねばならない。信頼できる不動産屋は、ものによっては、これはお買い得ではないと言ってくれる不動産屋だ。

原発事故の解説も、何が起ころうと「ただちに健康に被害があることはない」と言うのは国民に安心させようという魂胆ばかりが目立つようになり、信用を失う。最初は胸部X線との比較で大丈夫だといい、線量が増えてくると胃透視と比べて安全、そしてさらに線量が増えればCTとの比較になる。どのような線量であろうと結論は「ただちに健康に被害があることはない」なのだ。

やはり、安全だというには安全の基準を明らかにしなければならない。事故への対応にしても、こうなれば危ないがこうなれば安心と伝えておけば信頼されるだろう。あと追いで安全を強調すればそれだけ不安がつのる。たどった経過は、最初はメルトダウンがないから大丈夫、次には炉心が健全だから大丈夫、さらに水素爆発があっても格納容器が健全だから大丈夫と言う次第だ。

情報を出さないのも信頼をなくす。事故が起こって最初の2日くらいは線量すらも出さない。出しても数時間前の値に限られる。一週間くらいは線量を出しても核種は出さない。放射線が炉心からの放射能の漏洩であることがはっきりして、沃素が出れば半減期が短いから危険でないというコメントをつけて出す。セシウムが出れば局在しないから安全だというコメントをつけてだす。吟味して安全だとコメントできる情報だけを出すようにしていると受け取られる。

視聴者に要らざる心配をさせないのが解説者の任務だというのはわかるが、やりすぎだ。「今後こうなれば危ないがたぶんこうなるから大丈夫でしょう」「この値がここまで上がれば危険ですが今のところこれだけですから大丈夫です」といったものの言い方をすればはるかに信頼されるだろう。

しかしながら、「危ない」と発言したコメンテータが次々と番組から降ろされるところを見るとそれもなかなか難しいのだろう。あとは、不動産屋と話しているつもりで割り引いて聞くという聞き手の技術に頼るしかない。

原発にだまされた日本 [原発]

福島の原発事故で多くの人が原発に騙されたと思っている。確かに原発は危ないという話は聞いた。しかし、一方で電力会社も政府も安全だと何度も繰り返して広報してきた。あれだけ大きな会社の偉い人たちが言っているのだからまんざら嘘でもあるまいと多くの人が信じた。勿論、危険はゼロではないだろうが、相応の技術的な対応も進んでいるし、電力は必要だから、多少の放射能漏れの事故はあってもたいしたことにはならないだろう。そんな風に思っていて、ここまで大きな被害になるとは夢にも思わなかった。

ある程度の「識者」もやはり騙されていた。チェルノブイリで事故があったときに、盛んに黒鉛炉と軽水炉は根本的に異なり、いかにうまく制御棒が挿入されるかを説明した。あたかも制御棒の操作だけが重大な問題であるかのような説明に技術的な知識のある人も惑わされたのだ。たしかに緊急時に間違いなく制御棒は挿入された。しかし問題はその後の崩壊熱だった。多くの「識者」が、制御棒の操作だけが安全の全てであるかのように誘導されてしまったのである。

原子炉の危険を煽り立てたセンセーショナルな著作で知られる広瀬隆氏にしても盛んに恐ろしさを強調はしたもののその中身で印象に残ったのは、チェルノブイリ型の悪口とあとは微量な放射能漏れの話だった。100万kWの発熱がある原子炉の熱源はウランの分裂とその生成物の崩壊によっている。ウランの分裂が止まっても生成物の崩壊が続くことは考えてみれば当たり前で、それがたとえ0.1%にまで落ちても、100万Wなのだから膨大な発熱だ。多くの批判的な科学者も目がこれに向かなかったのは重大なミスだろう。

しかし、中にはわかっていた人もいた。共産党の衆議院議員吉井英勝氏は、京大の原子力工学出身でさすが専門家だ。2006年3月1日の予算委員会で津波により冷却不能になる危険を指摘している。吉井氏も発電機の損傷ではなく引き潮で取水が出来なくなることを想定しているから完全に今回の事態の予告というわけではないが、バックアップ電源系統が使えなくなるとか、水素爆発、炉心溶融まで指摘しているからかなり近い予想だ。

どうするつもりだと追求されて、答弁に立った二階経済産業相は「今後、経済産業省を挙げて真剣に取り組んでまいりますことを、ここでお約束申し上げておきたいと思います」と逃げた。その後、事故に至るまで政府が何もしなかったのは明白だ。口先だけで約束したのにすぎない。共産党がまた文句をつけてきたという程度にしか対応していない。

多くの識者や国民もこの吉井質問を真剣に受け止めて、こんないい加減な答弁はけしからんと怒りもしなかったし、国会討論が評価されて共産党の票が増えたわけでもない。結局、日本全体が大会社の偉い人達の言葉に騙されて安閑と日を過ごしたことになる。少なくとも災害に関しての警告は真面目に受け止める姿勢を持たねばならない。日本人全体への教訓である。


仮設住宅の不足問題 [原発]

津波をかいくぐって生きぬいた避難所人口が10万人あり、なんとか一息ついた。次の段階として仮設住宅の建設が問題になっている。被災地の安全な土地が少なく、仮設住宅建設の目途が立たない。現在のところ計画できているのは1万人分だというから、全くたりない。

仕方がないから、他の土地への移住を勧めているというが、当然被災者達からは不満の声が上がっている。これは住み慣れた土地への愛着だけではない。バラバラになって全国に散ってしまったのでは声が弱くなる。復興に向けた要求もまとまっているからこそ通るのであって、ばらばらではうやむやにされて終わる。そのことを肌で感じているから被災地では地元に拘るのだ。

これは、単に仮設住宅で終わる問題ではない。「本設」住宅の方がさらに問題だし、仕事をどうするかという問題もある。これは国や自治体の協力がなければ解決の仕様がない。バラバラになって全国に散ったのではだれも面倒を見てくれなくなる。だから被災者は地元にこだわり結束を大切にするのだ。

しかし、土地がないというのは絶対条件で、やがては現実を受け入れざるを得ない。政府や東電にとってはこれが正に狙いどころなのである。1年後には仮設住宅を追い出されるし、結局のところ個人の住宅の再建に手を差し伸べてくれはしないのだ。仕事にしても、タダでさえ就職が難しく競争が厳しい。被災地の出身だからと言って仕事を譲ってくれはしない。どこまで結束を保って国に支援を要求できるか、これが被災者の正念場だろう。

今度の被災者には農業などの自営業者もおおいが、これまた問題が山積している。機材や工場の損失は大きく、すでに何千万円かの借金を背負っている。事業を再建するにはさらに借金して億の借金を抱えねばならない。当面の資金の融資はあるいはあるかもしれない。しかし、それはやはり借金ではある。

農業や酪農は資金効率が悪い。普段から500万円の利益を挙げるためには、肥料や、機材、苗などで5000万円からの借金をした上に、朝から晩までの労働をつぎ込まなければならない。一億の借金を返すにはどれ位の耐乏生活が強いられるかを考えると気が遠くなる。

年収500万円なら、会社勤めなら何の資金もなく、土日を休んでさえ手に入る。比較したら農業の未来に確信が持てなくなるのも当然だ。漁業も同じような状態で、結局たまたま代々その土地に住んでいたという、行きがかりからその産業を担ってしまった人たちによって続けられてきたのが現実だ。

この人たちにもう一度億の借金を背負わせて畑に送り出すことに何の後ろめたさも感じないでいいものだろうか。日本の産業構造を根本的に転換し、経済成長よりも適正配分に主眼を置いた政治が行われないことには救いようがないのだが。今のところ政府はもちろん、時間が経って被災者の声が弱くなるのを待っているばかりであり、そんな政策転換などやるそぶりもない。

福島原発2号機の行方 [原発]

各地の放射線量も落ち着いてきて、東京電力は修復に向けてのロードマップが示されるようになった。依然として高い放射線量のある飯舘村などから見れば歯がゆいようなゆっくりとした見通しだが、これでなんとなく事件は収束に向かっているような雰囲気だ。

しかし、問題は2号炉だ。そもそも圧抜きのためのガス放出だけの状態ではたいした放射能拡散はなかった。ところが2号機で爆発が起こったのが各地で放射線量が問題になるきっかけとなった。 1号機3号機が屋根を飛ばした無残な姿を晒しているのに引き換え、2号機は外傷なく健全にも見えるがどうしてこれが中々の問題だ。

爆発当初から、異常な圧力抜けが言われていた。保護容器は確実に壊れている。今また汚染水の放射能濃度が尋常ではない。圧力容器も穴が空いている。空焚きによりもちろん燃料棒は溶融しただろうし、サプレションプールの損傷については東電も認めざるを得ないところだ。

さらに深い問題は二号機の損傷がいつ起こったかだ。他に比べて空焚き要素の少ない二号炉で破壊が起こったとすれば、燃料棒の溶融以前に地震のゆれで損傷した可能性も高いからだ。原子炉の耐震基準を根本的に見直さねばならなくなる。現実的に、日本のような地震地帯は原発に適していないことはあきらかだ。

学校屋外活動は3.8μシーベルトまで良いのか [原発]

文科省が学校の被爆基準を決め、校庭などが3.8μシーベルト/hを超える場合は屋外活動を制限するということにした。国際放射線防護委員会(ICRP)の「緊急事態収束後の年間被曝量は1~20ミリシーベルトの範囲で考える」という目安を参考にして、一日16時間は屋内ですごし、8時間を3.8μシーベルト/hの校庭で過ごした場合に年間20mシーベルトになる計算だ。実にいい加減な算定だ。校庭で365日8時間すごすわけはないし、無理やり数値を出すためのこじつけにすぎない。実際のところ、これくらいの値にしておけばなんとか体育の授業時間数を規定時間だけ確保できるだろうという数値をねらってつじつまあわせをしたのだろう。

これに対して政府参与の東大教授が噛み付き、年間20mシーベルトはあまりにも高い設定であるとして抗議の辞任をした。なんとなく沈みかけた管政権と心中するのが嫌で飛び降りただけの感じもするが、あまりにも高い数値であることには同意する。

加速器などの研究所では、放射線作業が必要なので、作業従事者を選んで教育訓練を施し、定期的に健康診断をしたり、線量計を携帯して線量記録を付けさせたりして年間20mシーベルトまでを許可している。放射線作業従事者以外の人については年間1mシーベルト以下に抑えることが放射線管理として要求される。放射線作業従事者と同じだけの放射線量を何の装備もない学童に浴びさせるという設定はいかにもひどい。

それでは、校外活動を制限する校庭の放射線量をいくらに設定すればよいのかということになると疑問はつきない。校庭で3.8μシーベルト/hであれば、道路や街中もそれに近い値だろう。どこにいようが年間1ミリシーベルトははるかに越える。つまり、こんな場所でどこまで校庭が使えるかを考えること自体に意味がない。逃げ出すほかない場所だということだ。

法的には一般人の年間被爆量を1ミリシーベルト以下に抑えるのは放射線管理責任者を擁する東京電力の責任である。避難区域を大幅に広げて、その費用の全てを東京電力が負担する以外にない。5年間で5mシーベルトを基準にして該当区域の人たちの家の移転を補償するべきだろう。学校も商店もすべて移転になるから大変ではある。

多分東電だけでは今すぐ負担できないから、政府が10兆円の原発事故国債を無利子で発行し、内部留保がある会社に買わせる。こういう会社はすべて原発の恩恵をこうむって利益をあげたのだからこれくらいの負担は当然だろう。国債だからあとで間違いなく返してもらえるのだからこの際文句を言うべきでない。

国債の償還は原発特別税で賄う。原発を持つ各電力会社はその発電量に応じて税金を支払う。当面、原発発電のコストはかなり上がることになるはずだ。原発が減ればそれだけ税金が減るのだから各社こぞって、発電方式の転換に向かうだろう。効率の良い風力や太陽光を開発すればそれは容易に原発よりも安く出来る。こういうことでエネルギー政策事態が誘導できるので、難しい「指導」や「規制」でコントロールすることもいらない。

この処置で新しい住宅発注が5万件くらいあるはずだから、これは東北の経済復興にも大いに役立つ。名案だと思いませんか?

原発なくしてこれからどうする [原発]

福島原発の事故で、原子力の安全性は決定的に信用を失った。もはや日本に原発の建設を受け入れる町はないだろう。今ある原発も止めてしまおうというのが大方の意見だ。その後の電力をどうするかについていろんな議論があるが、風力や太陽光だけでまかなえるとは思えない人が多い。

当面は良い。日本の原発依存率は15%に過ぎないから、いろんな機器の効率をあげれば、特に火力や太陽光を増やさなくてもなんとかなる。現在の技術で、老朽化した効率の悪い機器を置き換えるだけで30%もの節電ができるそうだ。地球の温暖化から考えれば今までの日本がエネルギーの使い過ぎだったのだ。

しかし、化石エネルギーが枯渇するのは時間の問題だ。石油の寿命は長くてあと50年。原子力が今まで容認されてきたのは現在の需要より、将来のエネルギー資源を引き合いに出しての議論からだった。世界的規模で考えれば、現在ほとんどエネルギーを使っていない人たちがどれくらい多いかに驚かされる。その人たちが日本の現在の半分位まで使うようになれば化石燃料の枯渇はあっと言う間に起こる。

曇り空が80%であり、また風の方向も定まらない地形で、風力や太陽光がすべての火力に取って変われるとはとても思えない。風力や太陽光も多分に石油化合物にその原料を依存しているのだ。この点ではもともと原子力(軽水炉)は解決策ではなかった。ウラン資源は、石油・天然ガスよりも、もっと少ない。

核融合が実用化されればエネルギー資源の心配はなくなるが50年程度では出来そうも無い。原発も燃料が長持ちしないが、高速増殖させて燃料を作り出すことが出来る。今のところ高速増殖炉が500年くらいは持ちそうな唯一のエネルギー源だろう。だから原発の技術は捨ててしまうわけにはいかないと思う。ナトリウムなど危険性は高く、すぐに実用化すると言う「もんじゅ」方式の前提は間違っているが、50年後の実用化を目指して地道な研究は続けるべきだ。

しかし、今の日本の状況をみれば、抜本的な技術改良をやったとしても、それだけで原発が安全になるとはとても考えられない。もうける為には安全を犠牲にしてなんとも思わない体質から抜け出すことは出来無いし、大会社と政府が癒着してしまうのを防ぐことも出来ない。日本の社会はこういった強力で危険な技術を使うにはあまりにも未成熟と言うしかない。

日本列島に原発を作ることははっきりと諦めよう。エネルギー問題は国などと言う狭い枠で考えるべきではない。中国のように過去1000年間マグニチュード4以上の地震がなかったことを立地条件にすれば日本に原発は作れないことが明らかだ。国益などと言うことを忘れ、世界が合意して、必要なエネルギーは一番安全な場所で、一番安全な方法で作ることを考えるべきだ。そのため日本も日本列島には原発を作らないが全力をあげて技術開発に協力努力する必要がある。

そんなことができるだろうか。もちろん、国どうしがいがみ合っている間は出来ない。原子力は人類が進歩して、国などという枠組に拘泥しなくなった時初めて使用可能なのだ。日本国憲法第九条の精神が世界に受け入れられるように急がなければならない。化石エネルギーが枯渇するまでに国どうしのわだかまりを解決しなければならないからだ。

間違いだらけの放射能対策 [原発]

福島第一原発の事故から3ヶ月。地震後5時間ですでに炉心溶融が起こっていたなどと、遅出しですさまじい事実が伝えられている。「水蒸気を放出するだけです」「炉心の中は大丈夫です」と言っていたはずだ。疑心暗鬼にならざるを得ない状況だが、一生懸命に自己防御で対策しているつもりの人に間違いが多い。以下は、原発至近ではなく50km以上離れた一般地域でのことだとお断りしておく。

マスクは意味が無い
放出された放射性物質の多くはヨウ素131で、これは空中に飛散しやすいが半減期は8日しかない。すでに空気中の放射性物質はなくなっているからマスクはもう意味が無い。まだ「空中放射線量」は平常ではないが、これを空中放射能物質と混同してはいけない。現在の「空中放射線量」は地表から飛び出す放射線の量を空中で測った値だ。地表にはセシウム137が蓄積しており、これから放射線が飛び出している。

窓を閉める必要はない
これも同じ理由でもはや不要。福島の学校などでいまだに窓を締め切って授業しているのは子供たちがかわいそうですね。校長先生、よく調べて下さいね。

野菜の放射能は洗っても落ちない
ほうれん草とか放射能を持ったものも、表面についているだけだから洗えばほとんど落ちるなどと解説していた学者もいるが、これは想像でものを言っているに過ぎない。実際には洗っても落ちない。葉の表面組織に染み込んでいるから、洗ったくらいでは落ちないのだ。

土壌は入れ替えなくてもよい
庭に放射性のセシウム137が蓄積しているのは事実だが、これは地表の1cm程度にすぎない。表面を掻き取るだけでいいので、深く土壌を入れ替える必要はない。少し耕して上下を入れ替えるだけで1桁以上放射線量は減るので実際的には十分だ。作物を作るときは根からの吸収があるので少し異なるが、まあ大丈夫でしょう。

放射能は原発からの距離で決まらない
遠いから安心ではない。風の吹き方で同じ地域でも大きな違いがあり、同じ市でも5,6倍の違いがある。放射能は原発の方向からやってくると考えるのが間違いで、関東地方なら大体放射能は海から来ると考えてよい。雨水の流れのある所では、放射能がかき集められてたまっていることもあります。

放射能は減少する
現在の主な放射線源はセシウムですが、セシウムには137と134が混じっています。137の半減期は30年もありますが、134は2年です。自然拡散もありますから、あと2年後には全体の放射線量は半分くらいまで落ちるでしょう。30年続くと悲観することはありません。

いつの場合でもそうですが、迷信と政府広報には騙されないように、自分で勉強することが大切です。ついこの間まで「原発は日本の命、絶対に止められない」などと安全神話を振りまいていた政府が、「消費税を上げないと社会保障が出来ない」なんて言い出していますが、やはりこれも神話です。

原発の「安全神話」と「危険神話」 [原発]

福島原発の事故前には「安全神話」が撒き散らされていた。事故後は今度は「危険神話」が蔓延しているようだ。放射線は何が何でも危険なもので、科学は人類に厄災をもたらすとする一種の反科学主義に落ち込んでいる。

もちろん、放射線は浴びないほうがいいのだが、どうしても浴びてしまう自然放射線量を考えて、それより小さいものはあまり気にしないのが正しい怖がり方だと思う。自然界にはラドンのような放射性物質があるし、体内にはカリウム40がある。宇宙線もあるから、年間1mSVくらいはどうしてもあびてしまう。これに加えて原発事故由来のセシウムがあるわけだから、心配すべきは1mSVに比べて無視できないレベルのセシウム被爆だろう。

ところが、「危険神話」の信者たちは自然の放射線と原発の放射線は違うと言う。カリウム40の被爆とは長年共存して人間には耐性が出来ているが、人工放射性のセシウムには弱いと理屈付けしている。なんともまあ非科学的な議論ではある。「それは、いくらなんでもおかしい」などと言うものならば「御用学者の言い分と同じだ」と反論されるから困る。御用学者だってすべてがウソな訳ではないのだが、効く耳はもたない。

しかし、考えて見れば全ての人に理解を求めるのは無理だろう。多くの人はわからないなりに信用するか疑うかのどちらかなのだ。原発があまりにいい加減な対応をしていたために、サイエンス全体が不信の目で見られることになった。サイエンス全体が原発事故の風評被害者になってしまっている。

放射線の正体は素粒子であり、ベータ線は電子、アルファ線はヘリウム原子核だ。これがどこから出てこようと粒子はおなじものだ。ガンマ粒子もカリウムとセシウムで違いがあるわけではない。ベータ線やアルファ線はレンジが狭く、人体組織の奥まで行かず、外部被爆の場合には結局ガンマ線に変換されて作用する。

放射線を計測して何から出たかを識別する時にはガンマ線のエネルギーの違いを見る。セシウムとカリウムではエネルギーが違うのだが、これは放射性物質から出たときの初期値の違いに過ぎない。人間の体の中を進みながら、放射線は徐々にエネルギーを失って行く。だから実際に遺伝子が受ける放射線の効果は、幅の広いいろんなエネルギーの放射線のものだ。何から出たものかの違いが出て来ようがない。当然、自然放射能であろうと人工放射能であろうと関係がないことになる。自然の放射線と原発の放射線は違うなどという議論の非科学性はこのようなものだ。

内部被爆の場合は確かに放射性物質による放射線の違いがある。一番遺伝子を壊すのはα線で、自然にあるラドンやポロニウムの影響についてはシーベルト値以上のものが確認されている。しかし、原子炉由来の核子でα崩壊するものはほとんどない。今問題になっているセシウム137もストロンチューム90もβ線しか出さない。γ線もコンプトン効果などで電子対を作り、これが遺伝子を破壊するのだから遺伝子の破壊過程は結局β線と同じ事だ。シーベルトという単位は放射線のエネルギー量にこうした人体影響を評価したものだから、シーベルトで評価する限り外部被爆と区別する理由はないことになる。

内部被爆をわけのわからないものであるかのごとく強調したり、自然放射線と人工放射線の違いを強調したりする非科学性は避けなければならない。

ついでに「安全神話」のほうの非科学性についても述べておこう。100mSV/y 以上の放射線が発ガン確率を上げることは明らかなのだが、100mSV/y以下については、タバコなど他の原因が大きく作用して明確なデータにならない。これを100mSV/yまで安全と言い換える議論が未だに残っている。人間には遺伝子の修復機能があるから、ある閾値まではガンの発生を抑えることができると理屈付けしている。

もしそのような閾値があるなら、タバコなど他の発ガン原因にも閾値があるはずだが、そんなものは見つかっていない。ガンは一個の細胞から始まる。人間の遺伝子修復機能は確率的にする抜けが起こるのだろう。確率なら放射線量に比例するはずだ。現に高線量の領域ではガン発生確率はオフセットなしで放射線量に比例している。放射線は少しでもそれに応じた発ガン確率を持っていると考えるべきだ。ICRPが閾値なしを勧告しているのは、「念のために安全を見て」ではなく、そう考えるのが最も理屈にあっているからだ。

100mSVでガン発生確率が0.5%増えるというのを、現在の発生率の5%が増分だとする曲解もある。正しくは人口の5%が新たにガンになって死ぬということである。これは決して小さいものではない。比例なら、1mSVでも10万人中5人が無差別殺人に遭遇するのだ。秋葉原の事件が毎年起こるようなものだと考えれば「たいしたことはない」とは言えないだろう。

安全神話、危険神話に惑わされること無く、放射線を正しく怖がる知識が必要な時代になっている。

原発にしがみつくのは愚策---実は火力発電が安い [原発]

一時は政府も脱原発を唱えたのだが、揺れ戻しが起こっている。日本には資源がないから原発に頼らざるを得ないとか、原発をやめれば電気代が上がるとか様々な理由が挙げられているが、全てウソである。

日本に資源がないのは、そのとうりだ。しかし、原子力資源もなく原発燃料は100%輸入だからこれは理由にならない。原発が安くつくなどと言うことは、あの福島の被害補償を考えればとても言えないことだろう。そのうち金に困った田舎町が安く原発を作らせてくれるだろうと考えているのかも知れないが、それは甘い。

実は福島以前から原発のコストは高く、火力のほうが安上がりなのだ。英国のエネルギー委員会報告によれば、メガワット時あたり、原発が80ポンドに対して火力は55ポンドである。あれこれ細かく積算するよりも、アメリカでは1977年に着工したルイジアナのリバーベンド発電所以来、一つも原発の建設は行われていないという事実が最も説得力がある。アメリカは原発の本家であり、経済が全てを支配する国である。そのアメリカで原発の建設が行われず、替わりに天然ガスによる火力発電所がどんどん建設されているのだ。こちらの方がコストがかからない証拠と言える。

ところが、日本では原発が一番安いという「試算」があちこちで公表されていると言う不思議な情況がある。なぜ、日本の火力発電が高コストかというと、いろいろある。原発の推進費用まで火力のコストに入れてしまっているのは論外としても、一つ大きいのは古い石炭・石油火力に基づいていることがある。日本が原発にばかり力を入れているうちに、世界の火力発電は進化をとげ、現在主流のガスタービン発電機は昔のものに比べて格段に効率が高い。

原発は結局のところ蒸気機関であり、熱力学的効率は決して高くない。石炭や石油で動かす蒸気機関も同様だ。熱力学で云うカルノー効率は入口出口の温度比で決ってしまうのは物理学の原理だからこれはどうしようもない。高々100度近辺でしか運転しない蒸気機関は原理的に効率が悪いのだ。

ところが最新のコンバインド型ガスタービンエンジンは直接燃料をタービンに入れて1400度の高温で回し、さらに排出ガスで蒸気を作りこれでも発電する。つまり、蒸気しか使わない原発部分はおまけレベルのものなのだ。

現在の日本ではエネルギー使用のうち実際に役立っているのは30%でしかない。このエネルギーロスの中で最大のものは火力発電のロスである。火力発電を最新型にするだけで10%の省エネが出来、炭酸ガス排出量の目標も達成できる。天然ガスはCO2が少ない。

原発を推進するためにこういった火力発電の技術開発を抑えて来た日本の政策立案者は真から頭悪い。一足飛びに再生可能エネルギーを志向するのが難しいなら、つなぎは火力発電で十分対応できる。天然ガスはまだ100年位持ちそうだから、その間にゆっくり検討すればよい。

原発ゼロはすぐできる [原発]

福島の原発事故を受けて、多くの人は脱原発を志向している。しかし、その手順については10年とか30年とかに日延べした提案があり、迷いが生じているのも現実である。30年計画などというものが達成されたためしはなく、原発を無くすのならば直ちになくすしかない。ここでは、原発を直ちにゼロにした場合に何が起こるかを検討する。

1. 日本の電力需要
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 左の図は電力販売量を年度毎に示したもので、長く日本の電力需要はかなりの勢いで増加していた。2011年には震災による落ち込みがあるが、停滞ないし減少への変化が震災以前の2007年頃から起こっている事に注目する必要がある。この原因の1つは「不況」と考えられる。しかし、それまでの、まだ電力需要が伸びている時も、決して「好況」ではなかった。好況不況と電力消費は必ずしもすぐに結びつくものではなさそうである。
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2012年の統計はまだ完結していないが、月別の比較はできる。震災直後からかなり厳しい電力制限をした2011年度に比べて、電力制限ははかなり緩和されたはずだ。2012年度は工場の稼動制限などをしていない。確かに夏場の冷房需要などがかなり増えている。しかし、2011年よりもさらに減っている月もかなりあり、通年ではあまり変らない。これは、一体どういうことなのだろう。

この一年で、省エネがさらに普及し、不要な電力の見直しなどが行われた結果である。「不要な電力は使わない」ことが、常識として定着し、不要な時には機器を停止することが一般的になった。これまでは、漫然と電力を浪費する状態が続いていたと考えるべきだろう。省エネ機器への転換も進んだ。この変化は2007年頃から始まり、「省エネ」である。LED照明やインバータモーターなど省エネ技術の普及が大きい。

日本のこれから先数年の電力需要を考えてみると、さらに省エネが進むことは確実で、産総研の歌川学氏の試算ではまだ省エネ余力は30%あるということだ。産業形態も変化しており、大電力需要の産業が急増するとは考えられないので、経済が好況側面に移ったとしても大幅な電力需要の増加はかなり長いスパンにわたり見られないと予測される。ある意味で現在は脱原発にとっての好機なのである。

2. 原発の現状
 日本の原発は再稼動された大飯原発3号炉4号炉を除いて全て停止している。これらは117万kWの出力である。2012年の夏は、猛暑が続く中、「大飯原発三号機と四号機(合計出力は236万kW)の再稼働をしなくても電力不足には至らなかった」という結果が出ている。今夏の関西電力管内の最大電力需要は2681万kwで、関電が想定した2987万kW(2010年猛暑を基にした予測値)に比べて306万kwも少なかった。

 関電が五月一五日の同会議に提出した資料をみると、確実な電力供給量は2542万kw(内訳は火力1472万、他社融通644万、揚水223万、水力203万各kw)に対し、最大電力需要予測は2978万kw。需給ギャップは445万キロワットだったが、これを周辺の電力会社から余剰電力を回してもらう「他社融通」の上乗せ(最大162万kw)や自家発電の活用、節電の徹底などで埋める対策が列挙されていた。会議の冒頭で関電の副社長が「停電はしません」と宣言をしたのはこのためだ。

 実際の電力需要は、関電の予測を大幅に下回り、需給ギャップは三分の一以下の139万kWにすぎなかった。再稼働分(236万kw)がなくても凌げたということだ。2012年が近年平均に比べても猛暑であったことを考えれば、来年に関しても、夏の需要ピークは十分乗り切れることになる。多くの企業では、震災後自前のジーゼル発電機を購入した。通産省の統計ではこの総計は1000万kWになると言うから、ピーク時に節電を促すため電気代を値上げしただけで工場の買電量はごっそり減るだろう。来年も原発なしで乗り切れることは全く疑いがない。

3. 今後の電力増強
 それでも電力は十分余裕があるほうがもちろん望ましい。今、すでにいくつかの火力発電所の増強が行われている。一番需給が逼迫している関西では。姫路第二火力の一号機48.65万kWが11月に試運転を終えて来年から運転を開始する。2号機も来年中に運転に入る。2014年に3,4号機、2015年に5,6号機が運転の見込みだ。関東でも川崎火力の70万kWが2013年に稼動するし、続いて幾つかの火力発電所の稼動が予定されている。これだけでも電力需要は十分に確保されていることは明らかだろう。これらは震災の前に将来の電力重要を過大評価して計画されたものだ。

重要なのは、これらの新しい発電機はコンバインドサイクルといわれる天然ガスを使った高温のガスタービンと廃熱で作った蒸気によるタービンを両用した熱効率の高い発電機だということだ。効率は60%を超えており原発や従来の火力発電の33%をはるかにしのぐ。当然、発電コストも下がり、事故の対策費を含めれば原発よりも経済的である。現に、アメリカではこのタイプの火力発電が主流になってからは原発の建設が一基も行われていない。英国でも議会報告で最も経済的な発電方法は原発ではなくコンバインドサイクルのガスタービンであることが確認されている。この比較には原発事故処理の費用を考えていないから、それを含めれば、原発は非常にコストの高いものだと言える。

ウランも天然ガスもどっちみち100%輸入である。政治家が、原発が止まると化石燃料の輸入が増えて何兆円もの資金が輸入のため失われると発言していたが、ウラン燃料の輸入が減るのだから、これは詭弁でしかない。実は、輸入の増加は円高是正のためにはむしろ好ましい。天然ガスは石油よりも埋蔵量がはるかに多く、ウラン資源と比べても遜色ない。海底のメタンハイドレートが天然ガスの代替となる可能性もあり、あと何十年かはガスタービン発電の増強で電力はまかなえると考えてよい。

太陽光発電も、にわかに注目が集まり、現在100以上ものメガソーラーの建設が進行中であるが、来年の夏に動いているものは1万kW程度にすぎない。しかし2014年からは数十万kWになると見込まれる。風力その他の発電もあと数年で、実際に電力供給と云える段階に達するので、これらの実用化とともに、温暖化防止策として、ガスタービン発電も減らしていけるのではないだろうか。発電に関するエネルギー収支を見ると大体次のようになる。
供給(1E15 J) 消費(1E15 J)
原子力 2495 発電損失 4953
水力 685 配送損失 387
天然ガス 2347 家庭 2154
都市ガス 60 業務 1236
石油 564 産業 1189
石炭 2086 自家発電 -1682
合計 8237 合計 8237

最大のエネルギー消費はなんと「損失」なのである。コンバインドガスタービンのように飛躍的に効率を上げられるものの導入は大きい。天然ガスはCO2の排出も少ないので地球温暖化対策にもなる。日本がこの分野で遅れをとったのは原発に偏ったエネルギー政策の結果に他ならない。照明やモーターにもまだまだ省エネ技術を適用する余地が残されている。

4. 結論
現在実用化されている技術だけでも30%の省エネが可能なのであり、原発への依存率が30%程度であったことからだけでも、原発は直ちに廃止できることが明らかである。地震国日本での将来のことを考えれば、むしろこのまま再稼動を一切させず、即時原発を廃止して、30年後に新しい技術で原発の可能性を見直すのが賢明だろう。燃料資源枯渇の問題には、核融合やトリウム溶融塩炉あるいは、高速増殖炉といった新しい技術の可能性はいずれも拒否すべきではない。稼動はしなくても原子炉の研究は続けなければならない。それが、安全な廃炉にも必要である。

おかしな放射線安全説----物理学会 [原発]

物理学会誌3月号が泉雅子さんの「放射線の人体への影響」という解説を載せている。ガンの発生に関する知見は得るところが多い。「実は、我々の体内では、酸素呼吸により反応性の高い活性酸素が常に発生しており、放射線を被爆しなくてもDNAは絶えず損傷を受けている」ということで、なんと一個の細胞で二本鎖切断も1日最大10箇所ほども生じているというのだ。

この結果人間には「加齢と共に突然変異が蓄積して行く」というのには疑問が残る。右手と左手ではDNAが違うのだろうか? 突然変異は簡単には起こらないことを基にした人類起源20万年説はどうなるのだろうか?

ともかくも、DNAの損傷・修復というのは、私などが考えていたよりずっと起こりやすいもののようだ。損傷は活性酸素によるものであり、放射線は、もともと他の原因で生じている活性酸素を少し増やすだけだということになる。著者は、これをいかに放射線の影響が少ないかを述べるのに使っているように見える。

しかし、このモデルこそ、逆にしきい値が存在しないことをはっきりさせるものではないかと思える。20mSVの放射線は、1日10回起こる二本鎖切断を0.002個所増やすに過ぎない。修復機能は、様々な原因で出来る切断をまとめて作用する。だとしたら、10.002個所では影響が全く無く、100mSVに対応する10.010個所になると閾値を超えて、とたんに影響が出てくるなどというのは議論にもならない。

もともとが10箇所で大きくふらついているのだから、しきい値があるとすれば、それは50箇所とか100箇所になり、非常に高い放射線レベルの話にならざるを得ない。低線量でしきい値を設定することはできない。ところが著者は前のページで図解まで入れて、「100mSより低い線量では発ガン率の増加は確認されていない」ことを強調して、100mSV以下に閾値があることを示唆している。矛盾でしかない。

「確認されていない」も納得できない。確かに放影研のデータはばらついており、ガン死亡率の増加は見方によるが、100mSVで大きな変化は無い。100mSVで増加を認めるなら50mSVでも認めなければならないと言うのが公平な見方ではないだろうか。

根拠の無い100mSVしきい値説を基に、今回の福島原発事故の健康影響は全く無いとしているのにも異論がある。積算で10mSVを超える人は10万人くらい(大雑把!)いるだろう。1000SV・人なら放射線ガンで死ぬ人の期待値は4人になる。大勢の中には非常に運の悪い人もいるということだ。確率だから4人に決まっているわけではない。4人、3人の確率が19%で、これが6人になる確率も10%ある。誰も死なない確率も1.8%あるが、これは10人死ぬ確率と同じようなものだ。

もともと10万人中3万人がガンになるのだから、いまさら4人を問題にすることも無いというのは成り立つ議論ではあるが、それを受け入れるかどうかは感性の問題だろう。誰もその4人にはなりたくない。10万人中1000人を殺すと分かっている物を排出する設備(=自動車工場)が許されているのに、事故の排出物で4人が死ぬだけの設備(=原発)が許されないのはおかしいという議論も同様に成り立つが、判断は難しい。

放射能汚染水の真相 [原発]

福島原発で汚染水の処理が問題になっている。最初は原子炉冷却のために大量の水を注入して、炉から漏れ出した水が溜まったと報道されていた。水を回収して再び冷却用に注入する、循環ポンプを設置すれば問題が解決するという話だった。

ところが、循環させるようになっても原子炉建屋の水は増えつづけた。毎日800トンもの汚染水がたちまちのうちに貯蔵タンクを満たして行った。セシウムその他の放射性物質を取り除く装置の導入が急いで行われたが、わかったことは、トリチウムが取り除けないということだ。トリチウムは放射性を持った水素だから水そのものであり、化学的に水から分離するわけにはいかない。

東電は、すでに居直っている。水があふれるから仕方が無いと、トリチウムを含んだ水を海に流すつもりだ。政府も「安易には海に流させない」と海に流すことを予告するような見解を出している。その時々の発表で国民を引っ張りまわしたのだが、実は汚染水を海に流すことは建設時から計画されていたのだ。

福島原発のある地域は地下水位が高い。地面を少し掘れば水が湧き出す。原発の建屋の地下には事故以前から毎日800トンの地下水が流れ込んでいた。それをポンプでくみ出して海に流していた。原子炉は格納容器に収められ、建屋自体には放射能がないからと規制されなかった。一旦原子炉から放射能漏れが起これば毎日800トンの放射能水が出ることは最初から解っていたのだ。ただそれが一般には知らされなかっただけだ。もちろんトリチウムが分離できないこともあたりまえのことだ。

こんなにも地下水位が高い場所に原子炉を作るのが間違っていると言えるが、建設時に問題にならなかった。そのような規制項目はないのだからあきれる。唯一問題になったのは柏崎で、この場合は砂地に原子炉を作るということで注目され、電力中研が極秘に調査して周りに地下水の障壁を作って水位を下げたということだ。しかし、これも大きな水圧には耐えられないから完全ではない。日本では、一般に海の近くは大抵、水位が高い。地震も津波もあることだし、日本は原発の立地に向いていない。柏崎以外の原発では水位対策が行われておらず、事故が起これば汚染水があふれるように設計されている。

水位が高い場所でも地下水問題を回避することはできる。原子炉を地下ではなく地上に作れば良い。高台に作れば津波にも強い。それがなぜ出来ないかというと、遮蔽の土盛りや背の高い建屋の耐震設計のために費用がかさむからだ。もともと原発はコストが高いもので、正直なところ他の発電には太刀打ちできない。それを危険を冒すことで無理やりコストを下げたのが今の原発だと言える。全く未完成の技術だ。

日本政府はこの事故にも懲りず、原発を輸出しようとしている。トルコは日本以上ともいえる地震国なのだが、こんなところに日本製の原発を輸出していいのだろうか。事故が起こったとき当然多額の賠償を要求されるし、日本人全体が、金のためには他国の不幸をいとわない極悪国民と批難されることが、懸念される。一時的な金儲けに終始せず、長い目でみた政策を持って欲しいものだ。

原発推進派の論客---中野さんの主張 [原発]

この期に及んで原発推進の論陣を張るのはどんな人だろう?ネットで検索すると京大の中野剛志なんて人が出てくる。学者にも原発に賛成する人がいるのかと思ったら、なんのことはない元は資源エネルギー庁長官官房原子力政策課の役人だから、まさに原発官僚だ。

人減らしで仕事の分担が増えて公務員は皆忙しいはずなのだが、中野氏のようなエリート官僚は、仕事もせず公費で英国留学をさせてもらう。原発推進の論陣を張るために育てられた純粋培養の原発推進論者ということになる。博士の学位を取って京大にポジションを得たのだが、それはハクをつけるためだから結局は、経産省にもどり、おそらく政治家になるにちがいない。

中野剛志氏の原発擁護論は、どのようなものだろうか。中野氏は反原発の唯一の論拠は、核のゴミ問題だと決め付ける。これは、原発推進論の泣き所が核のゴミ問題にあると意識していると言うことだろう。原発はいまだに放射性廃棄物の処理に見通しが立っていない欠陥技術なのだ。

しかし、彼は地下300mに埋めて解決すると言ってのける。まあ、これを素直に受け入れる人は少ないだろう。説得力がないことは本人にもわかる。そこで、彼は核のゴミ問題を原発反対論から切り離すトリックを考えた。核のゴミ問題は原発の賛否と関係がないと言い出す。すでに、核のゴミはあるのだから、原発への賛否に関わらず考えなくてはならない問題だと言う主張だ。

これは、明らかに間違っている。大量の核廃棄物が出るようになってまだ10年そこそこだが、すでにその量たるや膨大なものになっている。これをあと100年も続けて、どうにもならないくらいに増やすのかどうかの問題だ。すでにあるのだからなどと言うのは、ごまかしでしかない。確かに核のゴミは原発にとって致命的な未解決問題なのだ。

こういったごまかしで原発には何の問題もないとし、その勢いで問題のない原発に反対するのは左翼思想のせいだということに持っていく。原発は国家による国家のための事業であるから、国家が嫌いな人たちが反対するのは当然で、左翼は原発に反対しているのではなく実は国家に反対しているのだと解く。思想的立場とは関わりなく、放射能はだれでも好きではないのだが、それを認めたくないらしい。

確かに反原発と国家権力への反発は繋がったところがある。しかし、これは因果関係を逆に捉えている。原発事故の被害を見て、国の対応を見て、国家の御用学者の言説を見て、原発を押し付ける国家と言うものへの疑問が湧いてくるのである。国家に反対が原発反対を生み出したのではなく、原発反対が国家の支配体制への反対を生み出したのだ。右翼的立場でも現在の政府に対する批判はあるのだが、全部ひっくるめて現政府批判イコール左翼だとするのが官僚の発想だろう。

中野氏の「反原発になぜ左翼が多いのか」という分析は、実は「官僚になぜ原発推進が多いのか」の解答になっている。官僚は国家が大好きなのだ。中野氏が大学院に行けたのも、京大准教授のハクをつけてもらったのも、高給を得られるようになったのも、全て国家の税金のおかげだ。国家のための国家事業である原発をつぶすことは、大好きな国家権力を傷つけるのであり、到底容認できない。

中野氏の講演は、小林秀雄を引き合いに出して「僕はバカだから、反原発などと言うことに加担しない」と結んでいる。もちろん「バカだから」は居直りである。小林秀雄も「論理的に説得できないが」という意味で使っている。中野氏も自分の論理の頼りなさに気づきはしているのだろう。しかし、売り言葉に買い言葉だから、私はこの評論を「バカなら黙って引っ込んでいろ」と結ぶことにしよう。

原発推進派の危機 [原発]

なぜ原発にしがみつくのか? もちろんそれには理由がある。 

際限ない経済発展に依存してきた日本は崖っぷちに立っている。しかし、かつて、そのようなことが言われたアメリカは、いまだに一応持ちこたえている。 航空機・医薬品・コンピュータ・軍事が健在だからだ。日本には何があるのか? 造船・鉄鋼は見る影もない。お家芸だったエレクトロニクスは、三洋やルネサスが破綻し、ソニーも低迷したままだ。自動車は健在だが、印中韓が次々に参入して、将来は大いに不安だ。

経済発展こそが命と考える財界と政府は、震災の少し前に、原発立国の決断をしたばかりだ。東芝は、多大な借金で、ウエスティングハウスを買い取った。もちろんこれは財界と政府の総意を受けてのことだ。エネルギー需要は必ずある。欧米が嫌がって二の足を踏む原発に踏み込み、生き残りをかけようとした。この判断の直後に震災と福島事故が起こり、戦略破綻をきたした。「いや、まだ破綻していない」その強がりが続いてきた。収束宣言を出し、オリンピックに向けて、汚染水もコントロールできていると公言した。

事故の影響はあまりにも大きかったし、事故処理の手際の悪さも大きく響いて、原発への反発が予想を超えて広がってしまった。ドイツが脱原発宣言を出したのもショックだっただろう。国民を脅しつけた電力危機も、なんなく乗り越えてしまい、原発が必須であることも説得力がなくなってしまった。それでも、原発にしがみつくのは、原発以外に経済の脱出口を見出せないからだ。原発輸出を続けないことには、自らの戦略破綻を認めなくてはならなくなり、根本が崩れる。

今突きつけられているのは、こうした根本的な戦略破綻の問題だ。原発事故はあまりにも金がかかる。汚染水処理は日本の原発の構造的欠陥を露呈した。安全対策は、色々とごまかすにしても、核廃棄物の最終処理にいたっては、いまだに全く見通しが立たないのだからごまかしようもない。

戦略破綻は、政府も財界も意識している。だから、小泉元首相などが発言するのだ。引退した元首相にとっては、政治家としての見通しのよさを印象として残したい。自分が作った船ではあるが、沈みかかった泥船からは、さっさと下りてしまいたいということになる。小泉に続きたい保守政治家も多くいるだろう。

原発推進派は危機に陥っている。経済をどうするのだ。無責任な発言を慎め。そういって引き締めにやっきとなっているだろう。しかし、おそらく流れは止められない。今後日本で新たな原発の建設など出来るわけもない状況だ。国内で建設できないものを輸出する戦略が成り立つわけがない。戦略はどっちみち破綻するのだ。

嵐のような輸出に依存することを止め、こじんまりとした経済で、格差なく心豊かに暮らせる国を目指すしかない。現に北ヨーロッパの諸国は、輸出依存ではない適度な経済で、豊かな生活水準を保っている。GDPを人数で割れば、日本は全ての人がある程度豊かに暮らせるだけの経済規模をすでに持っているのだ。



東京電力の分社化 [原発]

東京電力が「分社化」を言い出した。経済性を無視して、金食い虫の原発を推進してきたのは、発電と配電を一緒くたにした経営のたまものであった。原発の地元対策費なども、原発コストに算入ぜずに、一般費用に含めてゴマかしてきた。将来の脱原発には、発電と配電の分離はかかせないものだ。高コストの原発は当然、利益優先の配電会社に見捨てられる。

しかし、分離に抵抗してきた東電が、今頃言い出すのはどうしたことだろう? 東電がまともに除染、廃炉しようとすれば、10兆円が必要だといわれている。もちろん、税金からの融資は受けられるのだが、これを返済すると50年くらいかかる。東電は、長期に渡って債務を支払うだけの会社は、日本を代表する企業にふさわしくないと盛んにアピールしている。税金から、返さなくても良い金を貰いたいということだ。

あれだけの事をやらかしたのだから、これで短期に優良会社に戻ろうというのは、虫の良すぎる話だ。東電の給与水準は福島事故で減額した今でも、平均で757万円、662万円の国家公務員より100万円も多い。大卒は大体1000万円を超えている。東電は、安定に電力を供給するための会社なのだから、別に利益が出なくてもよく、海外進出したり、国際競争力をつけたりしなくてよろしい。

東電の示す分割案では、全体を持ち株会社として、送電、販売、火力をそれぞれ別会社にしている。これは現在の社内カンパニーと同じだ。その他は現在は本社機能に含まれレいるのだが、それが、「持ち株会社」「原発会社」と「廃炉会社」に分かれるのが今回の目新しいところだ。

ようするに、原発事故の切り離しだ。全ての負債を「廃炉会社」に押し付けて、東電本体は優良会社に戻ろうというものだ。廃炉会社が倒産でもすれば、補償は何もなくなる仕掛けだ。そもそも「廃炉会社」は何で利益を産み出す会社となりえるのか?東電の説明では会社ではなく独立行政法人とも考えているらしい。つまり、事故の始末は全部税金に投げてしまうということだ。

「廃炉会社」は当然「原発会社」と一体であるべきだ。事故のコストを含めて、営業が成り立たないのなら、会社としても、原発は作れないのが、当然なのだ。事故の補償や廃炉がある間は、赤字が続いても、公的資金も投入しなければならない。国民にとっては大きな負担だが、原発推進政策を取る政府を選んだのは自分たちなのだから、仕方がない。事故処理が終わって、援助がなくなれば、「原発会社」は解散するしかなくなるだろう。

東電が考えるように、事故を切り離して、原発推進の優良会社にもどるなどと言うことは、許すわけにいかない。全てを税金でまかなわず、これまで散々東電で儲けてきた銀行にも債務放棄をさせて損失をかぶらせる必要がある。東電は銀行から3兆円もの融資を受け、事故でさらにこれが膨らみ、膨大な利子を銀行に支払っている。事故では、被害者も、一般の国民も負担を強いられているのだが、銀行だけは事故でますます利益を増やしているというのは度し難い。


福島原発事故の原因は津波ではなかった [原発]

11月14日の新聞に、東電が汚染水の漏れ箇所を見つけたことを発表したと、「小さく報道」されていた。事の重大性を感じていないのだろうか。今も続く汚染水の増加は、原子炉格納容器から漏れ出す超高濃度の汚染水が、地下水に混じって、大量の高濃度汚染水となっていることによる。格納容器のどこから汚染水が出てくるのかが、最近わかったというのだ。それは、格納容器本体とサプレッションチェンバーのトーラスをつなぐ配管が破損して、そこから格納容器内の水が噴出しているということだ。

破損が配管であったということは、温度上昇や圧力上昇によるものではないということである。直径の大きな容器は耐圧設計が大変だが、細い配管は内部圧力には強い。格納容器の温度は高くなったとしても、金属強度に影響するほどのものではありえない。配管が破損したということは、機械的な原因によるものだと言う事を示している。つまり、冷却水が止まった事とは関係なく、外部からの大きな衝撃力により破損したことになる。

この配管に大きな衝撃力がかかった時と言えば、地震が襲ったときだろう。大きな重量を持った格納容器本体と冷却トーラスが地震でそれぞれに異なる振動をすれば、それらをつなぐ配管にはとてつもない力がかかる。一号炉の配管は、津波が来る前に、地震の衝撃で破損し、配管から格納容器の水漏れが始まったことになる。これは、地震直後から運転室での放射線レベルが高まっていたことと符合する。その後、内圧が高まり、漏れ量は増えたし、放射性の水が、室内にどんどん溜まっていったのだから、放射線量は遅れて高まっていった。

原子炉は、津波の前に地震で破損していたのだ。地震の震度は想定内のものであったはずだ。にもかかわらず、いくつもの原子炉が破損したことは重大だ。原子炉の耐震設計は、炉心とかの主要部分についてしか十分に行われていない。本当は、配管などの細かい部分が地震に弱いのだ。津波対策さえすれば原発の事故が防げるというのは間違っている。

このことは、すべての原発について共通する。柏崎原発も大事には至らなかったが、中越地震で配管が損傷した。これも想定内の地震だったはずだ。このときは、想定内の震度ではあったが、地盤の構造のため、想定以上に揺れたと言い訳している。1号機から6号機まで、すべての原子炉建て屋で水漏れが発生している。中越地震の時の柏崎の様子は岩田清さんのHPが詳しい。

原発の耐震設計は大変難しい。耐震設計は主要装置について行われ、配管などはその付属物として簡単に扱われてしまっているが、これらも含めての全体モデルによる解析は多分行われていない。技術的に不可能ではないが、あまりにも煩雑でコストがかかりすぎるのだ。

配管などにすべて耐震用のベローをつけることも可能だがコストがかかる。私は原発が絶対に不可能な技術だとは思わない。原発=悪だとも思わない。地震地帯における原発の最大の欠陥はコストがかかることだ。コストを下げようとした結果が事故だ。事故の危険を冒さなければ成り立たないならそれは使えない技術である。核廃棄物も処理が絶対に出来ないわけではない。これもコストを考えることで、無理だとはっきりわかる。

いまさら、放射線はなぜ怖いか [原発]

放射線がなぜ怖いかというと、全く目に見えず浴びても感じられない得たいの知れないものだということがある。次にその被害のありかたが必ず致命的だということだ。少しだったら軽症で済むということはない。大量に浴びても、少しだけ浴びても、結果はガンになるということで、一様に重症である。ただその確率が違うだけだ。どんなにわずかであっても、浴びれば必ず相応にガンになる確率が上がる。

確率というのはなかなか体で理解しにくい。確率は、1人の人間の経験が役にた立たないという本質があるからだ。「俺は30年タバコを吸ってきたがガンになっていない。大丈夫だ。」などと言う人は多い。原発の元で40年暮らしてきたが事故なんてなかった。大丈夫だと多くの人が思っていた。だれもが、X線写真を撮って、ガンにならなかった経験を持っているから、X線写真と同じくらいですよと言われるとなんとなく安心してしまう。世の中のごまかしの多くは確率に関連するものだ。確率というのは危ないことだ。

そういったややこしいことはごめんだ。放射線には近づきたくない。一切浴びないようにしたいと思うのは山々だがそれは出来ない。放射線はどこにでもある。宇宙線は絶え間なく降り注いでいるし。人体の骨にはCa40があって、人体自体が放射線源なのだから、仕方がない。レントゲン写真を撮ればかなりの放射線を浴びるし、飛行機に乗れば宇宙線の量は格段に増える。

なるべく浴びないようにするのも、「頭隠して尻隠さず」になりやすい。見えないのだから、なにやらよくわからない測定器による数値にたよるしかないからだ。キャベツの規制値が500Bq/kgで、これに近いものがスーパーの棚に並んでいるが、キャベツに近づくと危ないなどというものではない。これは体内に入れないほうが良いというレベルのものだ。放射線は、数値にたよらなければ何の判断もできない。数値に弱い人にとってこれは怖い。

しかも、こういった単位や数値が非常にわかりにくい。とんでもない桁の数値が出てくる。東海村の加速器JPARCの事故で約1000億Bqの放射性同位元素が放出されたということを聞くと大きな数値だと感じる。しかし、これは福島の一億分の一にすぎない。周辺住宅地への影響は0.003μSvだから、どのホットスポットよりも小さい。

全エネルギーが集中してしまった最悪の事態で、加速器としては、これ以上の事故は原理的にありえないのだから、原発とは全く異なる。しかし、1000億Bqなどという放射線の数値だけをみれば、素人には、原発事故との区別が、簡単にはつかない。加速器や医療用X線と原発を同列に扱って、原発を免罪してしまう傾向や、科学全体を否定してしまう風潮も生まれる。何が怖くて何が怖くないかわからなくなってしまう。

素人にはわかりにくいということが、が恐ろしい。専門家の判断に頼らなければならないのだが、原発の専門家は多く原発の利害関係者であることを、いやと言うほど見せ付けられている。福島事故の直後に、専門家の安心させる下心を持った解説を何度も聞かされた。放射線は自然界にもあり、常々浴びているものだと言う事を利用して、怖くないという宣伝は電力会社が散々行ったことだ。だから、疑心暗鬼に陥ってしまう。これが怖い。

解決策は何かと言えば、やはり、一人ひとりがよく勉強するしかない。自然界にもあり、避けられない被爆に比較して、何を避けるのが効果的か。自分の経験ではなく、統計的事実から、何が本当に問題かを理解して、的確な世論を構成することが必要だ。全ての人に、これを求めるのは簡単ではない。しかし、人類が進歩して行けば、放射線に限らず、どっちみち色んな高度な判断が全ての人に求められるようになる。少なくとも判断をゆだねる人を正しく選び出すことが必要だ。それが民主主義であり、人類はこれに挑戦するしかない。

現状はと言えば、今の政府の放射線対策は、あの安倍内閣に運営されている。これが一番怖いことだ。

原発とギャンブル [原発]

賭けを考える。サイコロを3個使って、3つとも1ならば相手の勝ちで、250万円支払う。それ以外の場合は全部こちらの勝ちで1万円もらう。こういった賭けを持ちかけられたら、少し欲のある人なら受けて立つだろう。3つとも1なんてことはめったに無い。まず、ほとんどの場合あなたの勝ちだ。この賭けを10回やって10万円を稼ぐ確率は95.46%になる。

それなら、毎日この賭けをやって大金持ちになれるかというと、そうではない。少ないとはいえ、250万円払うはめになって、すってんてんになることもありえるのだ。149.3回やれば、一回も1が3つにならない確率は50%になるから、だいたい150回くらいで、もとの木阿弥になることが期待される。実は、この賭けの期待値は、マイナス1620円で、こちらが不利な賭けなのである。無限回繰り返せば、一回当たり1620円支払う結果になるという意味だ。

10回やれば、ほぼ確実に10万円を稼げるのに、150回やると赤字になるという奇妙なパラドックスなのだが、これが確率論の不思議なところだ。少ない試行回数では小さな確率が無視できるように思えるが、試行回数が増えると無視できなくなるということに基づいている。

こういった「小さな確率を無視して、まるでいつも儲かるように考えるトリック」は、金融界では常態化している。リーマンショックは、まさにその例である。彼らは、サブプライムローンに投資して、高い確率で儲けを出していた。一挙に大損する確率はあるが小さいとして、これを無視した投資を繰り返していたのだ。リーマンブラザーズは、恒常的に大儲けを繰り返し、会社の幹部は高給を取っていた。大損して破綻する確率があったのだから、起こったことは当然の結果だ。

電力会社が原発を作りたがるのも、こういったギャンブル投資と同じだ。事故が起こる確率が低いからといって、これを無視する。そうすれば、毎日々、確実に儲かっているような気がする。既存設備を使った原子力発電はコストが安いと思っているのだ。しかし、長い目で見れば、いつか大事故が起こって大損しなければならない。もちろん、原発の場合には核のゴミという問題もある。これも、どんどん貯めておけば、当面問題にならないと考えているのだ。後年、その処理にどれだけ掛かるかを考えに入れず、費用ゼロとしているようなものだ。

原発も、投資ファンドも破綻に直面してしまったわけだが、これに懲りたかというと、そうではない。ハゲタカファンドは相変わらず国際金融市場に跋扈し、東電もまたぞろ原発の再稼動を目論んでいる。なぜかと言えば、かれらは、破綻のつけを国に押し付けることができたからだ。どちらも、公的資金を受け取ってしまった。儲かるときには「俺の金だ。自由に使ってどこが悪い」と言い、破綻に直面すれば、払えないと居直り、公的資金を要求する。

jこういった仕組みが、目先の儲けだけを追求することを許している。俺の社長在任中に破綻が起こる確率は低い、だからこれを無視して、長い目で見れば、破綻でマイナスになることを平気でやりつづける。こんな理不尽なことがあるだろうか、大きな会社は、もはや社会的な存在であり、私企業だから自由だと言わせてはいけない。結局、そのつけは、全部、一般の国民が背負わねばならないのだから、十分な監視と規制が必要である。そのために国があるといって良いのだが、国がその役割を果たしているとはいえない。大企業から、政治献金をもらって、いいなりというのが現実だ。

「最後は金目でしょ」の真意 [原発]

石原環境相が福島の廃棄物保存施設で 「最後は金目でしょ」と発言して物議をかもしている。ぶらさがり記者の質問に対して、管官房長官との打ち合わせ内容を語った時の発言だ。原発事故で古里を追われ、廃棄物保存施設で永久に帰れないことが確定する元住民の怒りをを逆撫でするものだとして批判が相次いでいる。ただの議員ではなく環境相という行政上の立場にあろものとしては、絶対に言ってはならない言葉だろう。

住民の気持ちを配慮しない失言として軽率さや思慮のなさの表れと言う指摘は多い。しかし、フロイトではないが、失言には必ず、無意識の思想的背景があるものである。この発言にはもう少し深い意味がある。

石原親子は、きれいごとに留まらず、現実的な政治見解を出していくことが売りになっているので、今回も、官房長官に金銭保障の遅滞無い執行を促したものではあっただろう。住民に対する説明会はこれまで16回も開かれているが、石原ジュニアは一度も出席していない。環境相が行って説明するなどというセンチメンタリズムよりも、金額が重要だと考えるのは石原親子の思想である。

あまり使わない「金目」と言う言葉を使っていることにも注意しよう。つまり、廃棄物保存施設は、金目になるかどうかが正否の分かれ目になるという考え方を示している。原発は、これまで金目になることで、多くの寂れた地方で受け入れられてきた。原発を受け入れさせたと同じ考え方で廃棄物保存施設を進められると思っているのだ。

原発が、人類にとって、地震国日本にとって、正しい選択なのかどうかを考えるのではなく、金目になるものとして受け入れられるかどうかだけを考えるのが、「現実的」な政治の課題と考えている。廃棄物保存施設が必要になった背景を考えようとしない。原発のコストの大きさも、これまで宣伝されて来たよりもはるかに大きいことが、今回の事故以来明らかになっているが、石原親子は、これも正視しない原発推進派である。

石原シニアは、多くの国民が戦後の苦難を耐え忍んで経済復興に苦労していた時代に、ヨットを乗り回すような金持ちの家に生まれた。それなりに頭も良かったので慶応に入り、受験で苦労することもなく、当時の学生としては珍しいノンポリ青春を謳歌した。自分の文章や、弟の映画で常に注目を浴びた。社会を見つめ、深く考えるなどと言うこととは無縁だったのだ。

ぬくぬくと成長した石原にとって、日本は常に美しい国であり、これまで日本がやって来たことに何の間違いもあろうはずがない。ジュニアにとっても、親父の威光がまるまる通用するありがたみを十分に享受している。日本は素晴らしい国なのだ。その信念だけが全てと言ってもよい。無条件に今進んでいる右傾化路線の行く末を確信する。原発も改憲も悪いことのはずがない。彼らにとっては、何の努力もなく、金が転がり込む素晴らしい世の中なのである。

本人も自分が特別な存在である背景に金があることを自覚している。取り巻きは、そういったやからばかりだから、世の中の人間は、金さえばら撒けば、なびくのだと言うことを若いときから何度も経験してしまった。だから、彼らは、世の中が金で解決できることに疑問を持たない。それどころか金が支配する日本の現実が美しいと居直れる自分の勇気に酔いしれてしまっている。

この親子の発言には、こういた思想的背景が常に表れている。だから、同じような失言を繰り返すのである。




川内原発が審査合格で再稼動だって、そんな..... [原発]

川内原発が原子力規制委員会の審査に合格したという。田中委員長は「安全とは申し上げない」とコメントしている。地元の知事は。「国が決めた基準に合格したのだから安全だと思う」、安倍首相は、「安全だと判断されれば再稼動する」とコメントしている。

「安全とは申し上げない」が、「再稼動する」に変化する奇妙な伝言ゲームが見られる。原発事故に対して誰も責任を持たない枠組みが出来上がっているのだ。

原子力規制委員会が、合格と判断しておきながら、「安全とは申し上げない」とコメントするのは、どういうことだろう。安全を保障する基準を作ったのではなかったのか。

そのとおり、原子力規制委員会に付された任務は、福島事故を再び起こさないような基準作りであったに過ぎない。福島よりもっと過酷な条件があるときのことは基本的に考えていない。火山噴火とかも具体的に考慮していない。

原子力規制委員会の基準は、あくまでも原子炉技術的なもので、事故があったときの避難計画などは範疇にない。そもそもの枠組みが安全を保障するものではなかったのだから、「安全とは申し上げない」は当然のものなのである。

ところが、安全審査の枠組みは、最初から規制委員会結論を持って、安全であることにすりかえることを想定している。最初から不合格はないのだ。電力会社が規制委員会に提出した申請書は、委員を驚かすような杜撰なものだった。それでも「不合格」にはならず、問題点を指摘されて資料の再提出になった。

これは、不合格がない枠組みだ。電力会社は、福島で何が問題だったかも把握していなかった。でたらめな申請で、規制委員会に問題点を整理してもらったのだ。この問題点をメーカーや調査会社に涼しい顔で、丸投げした。問題点が再び指摘されても、丸投げを繰り返せば良いだけだ。いつかは必ず合格する。その費用は全部電気代に上乗せすればよい。

事故処理や除染でわかったことの一つに電力会社の驚くような下請けまる投げ体質だ。放射線測定すら社内の技術ではなく、下請けのメーカーに頼っている。現在も福島の現場には、ほとんど社員がいない。この体質では、将来にわたっても、事故を防ぐことはできないと誰もが感じただろう。

この体質は基本的な姿勢にもつながる。福島事故で最大の問題と感じられたのは電力会社の姿勢だ。まともに考えれば、事故の保障や安全対策に多大な費用がかかることから、原発が本当に安いのか、自然エネルギーや高効率の火力発電への切り替えも視野に入れた検討がなされねばならない。しかし、電力会社は再稼動一点張りで、検討すらしていない。

あの大きな禍である福島事故に何も学んでいない。これは、2000万人が死んだあの戦争に何も学んでいないことに重なる。失敗に学ぶことができず、失敗をなかったことにしてしまう。これが日本の基本的な問題である。


電力会社が黒字化----原発なくてもOKってことね [原発]

福島事故以来、電力会社は赤字が続いていた。このまま続けば、倒産の危機に陥ると言われてきた。事故の補償や、除染、改造など出費が大きいし、火力発電に頼る状況で、燃料費も多大なものがある。

そう思われてきたのだが、電力6社が黒字決算を計上したというのだ。原発事故の張本人である東京電力は1440億円の黒字だというから驚く。このからくりは2つある。一つは除染や被害者救済などはすべて国の費用で行っており、東電は金を払っていない。復興予算は5年間で25兆円といわれているがこれは全部税金である。復興特別税として、被害者である国民から金を取って、東電には負担させていないのだ。東電も賠償金を払ったりするが、ケチってせいぜい3兆円であり内部留保が5兆円あるのだからこれくらいはどういうこともない。

もう一つは電気代の値上げだ。電力会社は完全な独占企業で、電気代はいくらにでもできる。今回も黒字化の大きな要因は電気代の値上げだ。値上げには、政府の許可がいるのだが、有り余る電力マネーをばら撒けば許可などどうにでもなるのが現実だ。先日も、電力会社の元社長が、歴代首相への献金を暴露していた。多くの人々は、除染や復興に出費が多いだろうと思い込んで電気代の値上げをしかたがないものとして認めたのだが、実は東電は一銭も出していないのだから、騙されたことになる。

それにしても、現在の状況で経営上黒字が出るのはがおかしい。全国の原発は一基も動いていない状況が1年以上も続いている。原発は、運転していなくても運転していても、絶えず監視が必要な施設であり、再稼動に向けた回収工事も莫大な金がかかる。原発が稼動していないのは莫大な損失のはずだ。さらに、「安い」原発が止まって、化石燃料の輸入負担が膨大になっていると宣伝されてきている。

それでも黒字なのだ。これはどういうことかと言えば、火力・水力だけでも、この電気代なら、十分黒字であり、まったく発電していない原発の維持費や改修費を捻出する余裕があるということだ。もし、原発がなければ、もっともっと安い電気代で、電力供給できる。原発再稼動しなければ、電気代が跳ね上がるなどというのが大嘘であることを自ら宣言してしまったことになる。

それでも、原発再稼動をすすめようとする電力会社に国民はなめられている。こんなでたらめを許す政府に心底怒らねばならない。阿部内閣には退場してもらいたい。

放射性廃棄物の最終処分は福島で [原発]

こんなことを書けば、福島の人たちから猛反発を受けるだろう。津波と放射能で痛めつけられた上に、さらに長期に渡る禍を背負うことになるのだ。しかし、栃木県塩谷町の人たちは、自分たちの近辺が最終処分地になるという降って沸いたような災難に直面している。福島原発の建設について、全く何の相談も受けていない人たちだ。4000世帯しかない町で、反対集会に2000人もが集まったことでもその反発の強さが感じられる。

国は、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の5県に福島の放射性廃棄物を処分しようとしている。いずれも、福島原発とは何のゆかりもないところだ。この人たちが放射性廃棄物を受け入れる必然性は何もない。福島は、だまされたとはいえ、間違った判断で、原発を作らせてしまったという責任がある。この十字架を背負ってくださいと、あえて言わざるを得ない。

なぜ、こんなことを言うかといえば、いまだに目先の金に目がくらんで、福島の人たちがやったと同じ過ちを犯す人たちがいるからだ。薩摩川内の市長は、再稼動の受け入れを表明してしまっている。住民の80%が原発賛成派の市長に投票したと居直っている。原発直近には、原発から経済的利益を得ている人が多い。自治体も、電力会社に札束で顔をなでられている。

この人たちにもう一度考え直してもらいたい。原発では事故が必ず起こる。それは1万年後になるかも知れないし、明日かもしれない。事故が起こった場合そのとき悲惨なことになるだけでなく、末永く放射線と暮らさなくてはならない。本当に、こんな金で受け入れていいのですかと問いたい。

事故が起これば、国が全国から税金を取って補償する。放射性廃棄物は全国にばら撒く。金だけは地元がもらう。そんなことは、あってはならない。もし地元が原発を容認するなら、全部責任を負ってもらわねばならない。

だからあえて言う。福島事故の廃棄物は、全部福島で引き受けてほしい。

高浜原発の水漏れ事故の異常さ [原発]

再稼動を推進していた高浜の原発で水漏れ事故があった。原発の水漏れ事故はしばしば起こっていて、すっかり慣れっこになった感があるが、またか、と見過ごしてしまうわけには行かない。今回は、原子力規制委員会の「厳しい」監督のもとに、再稼動反対の世論に抗して、慎重が上に慎重に取り組まれてきた結果だ。

しかも、漏水は一次冷却水である。原子炉の炉心に直接触れる一次冷却水は汚染度も高く、絶対に漏水してはならない。だから炉体に密封して直接発電には使わない。発電には一次冷却水で温めた二次冷却水を用いる。

一次冷却水と言えども、計測や保全のために、炉外に多少の配管があるだろう。それでも、一次冷却水が漏れていて、「どこから漏れたかわからない」というのには驚く。量も34リットルだから大きなペットボトル70個分である。いったい原子炉の運転はどうなっているのか?アルバイトに点検させているだけなのか?運転体制、管理体制に疑問を持たざるをえない。これでは、原発事故が起こるのが当たり前だ。

まだ運転が始まっておらず、放射能の量としては少なかったので、「大事故ではない」と居直ってるが、これも驚くべき姿勢だ。原発は事故が起こってから謝れば良い物とでも思っているのだろうか。事故が起これば取り返しのつかないことになるという意識がない。

福島でも、結局、事故処理費用は国に負担させた。少しも懲りていないのだ。

事故の費用負担を考えれば、だれが考えても原発はコストが高い。福島の事故では、復興特別税で全国民がいまだにその負担を強いられている。電力会社が全面的に負担を負っていないことが問題の根幹だろう。東電は原発の運転を禁止されるべきだ。通常発電で、こつこつと稼いで、300年かけて国民に費用の返済をするべき会社である。

事故が起こらないことを想定した試算が通用するならどんな事業も儲かる。食品会社は、食中毒を防止するために多大な費用を費やしている。めったにないことだが、起これば莫大な負担になり会社が潰れることも想定されるからだ。コストはこのためのものと言っても良い。もし、食中毒は天災として国が補償費用を負担するなら、食品会社は公然と手抜きできて、簡単に利益があげられる。そんなことを許してはならないのは当然だろう。

遠い将来を考えた場合、枯渇するエネルギーを補うために、原子力の利用は必要とも思われる。安全を求めた研究開発は、続けられるべきだが、適正なコスト意識すら持たない会社が、完成した技術であるかのごとく扱うべきものではない。本来、コスト的に成り立たない原発を無理やり稼動させる異常が、水漏れ事故の異常さに現れている。
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