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選挙の季節 [政治]

都議選が終わり、麻生氏も解散総選挙の決断をしたようだ。このままなら、総理の椅子からひきずり下ろされるのは確実だから、解散した方がよい。勝てば、権力は安泰。負けても再編の手勢は確保できるからすってんてんで放り出されるより良いという判断だろう。全くもって、自己利益しか考えていない。

選挙はまたタレントや二世のオンパレードになるだろう。日本の有権者もどこまで馬鹿にされたら気が済むのだろう。選挙を自らの生活を守る手段としてとらえられていないから、紅白歌合戦人気投票と変わらない感覚で投票行動する。

「大切な一票」などと多くの投票者は考えてみたことも無い。なにしろ生まれてこの方、一度たりとも投票による選択の結果の恩恵にあずかったことがないのだ。政府や自治体の政策で生活が助けられることなど想像もできない。結局、だれがやっても政治なんて所詮、なんの役にもたたないものだ。心からそう思っている。

本当は投票権はお宝なのだ。何しろ兆円規模の税金を自由に使う権利の元なんだから。だから「政治の恩恵にあずかっている人たち」は真剣だ。必死になって動いていることだろう。恩恵にあずかっていない人たちに「何の役にも立たないと思い込ませるのも大切な活動だ。ぼーっと、「なんの役にも立たない」と選挙権を人気投票と同じに扱っている人たちは、またまたむしられるのである。

いったい、いつになったら気がつくのだろう。やっぱりこの歌詞のとおりか。
The answer, my friend, is blowin' in the wind, The answer is blowin' in the wind.


増えつづけるしかない医療費をどうするか [政治]

近年医療費がかさみ、健康保険組合の赤字が増えている。リストラや非正規雇用がはびこって、国民健康保険は支払いの出来ない加入者が増えて、どこも未曾有の赤字を抱える。負担の大きさに耐えられず、政府が医療費の抑制を打ち出すようになって久しい。

治療よりも予防と、メタボ対策に力を入れたり、医薬分業で過剰投薬を防いだり、はたまた老人を長期入院から追い出したり、医療費の抑制が躍起になって推進されている。医者の数を制限して医師不足にさせることまでしているが、それでも医療費は増えつづけ、健康保健制度は危機に瀕している。

よく考えて見れば、実は医療費の増加は必然であり、抑制など出来ないのである。人間の寿命が延びれば、それだけ一人あたりの医療費は増える。いくら予防をしても、人間は必ず死に、死ぬ前に大病をする。昔は簡単な病気で死んでいたから医療費はかからなかった。今では、かなりの大病をしても、医療費を使うことで命をながらえ、最終的にはまた大病をして死ぬのだから当然使う医療費は増える。人類が発展する限り、医療費は増えざるを得ない。言い換えれば、医療費を増やすためにどう社会を変えていくかが人類の課題なのだ。

医療費は増加するものだと言うことが事がわかれば、これをどう負担していくかが問題になる。他のこととは違って医療費は金がないから我慢するというわけにはいかない。現在も生活保護の人や、障害があって働けない人、刑務所の中の人などは全額国の負担になっている。まさか金が無いやつは死ねというような政府を容認するわけにはいかない。医療費の負担は社会的に考えるしかない。社会の進歩とは医療費の増加に耐え抜くことなのだと覚悟してかかる必要がある。

安直な回答として消費税を増やすことを言い出す政治家は多い。しかし、実は消費税で物事は解決しないのである。消費税が直撃するのはお金の無い人たちで、それだけ生活費はかさむので、当然生活保護基準は引き上げなくてはならない。貧困政策を怠れば結果的に刑務所人口を増やすから、どっちみち政府が医療費を負担しなければならない人数は消費税のために増える。医療費そのものにも消費税分の増加があるし、高額医療費補助の請求は増える。もちろん消費を抑制する税だから他の税収はそのために減る。とどのつまり、消費税は新たな財源不足を招く。

消費税をうちでの小槌と思い、何でも財源は消費税でまかなえると考えるのは実は幻想にすぎない。医療費を消費税に頼るなどすれば、いくら増やしても切りが無いことになる。

医療費だけでなく年金の問題もある。結局、将来の政府は税金の使い方を抜本的に変えるしかない。これは無駄をなくすなどという生易しいものではない。国の威信やプライドはかなぐり捨てて、生きることに専念するしかないのだ。古典的な国家支出つまり、防衛とか皇室とか建設、治水とかの経費をばっさり削って医療・福祉に回すことになる。政府高官には不本意かもしれないが、これしかないだろう。

予算の枠組みをひっくり返すなどと言うことは大改革が必要ということになるが、実はそうでもない。幸い日本には25条や9条を含む憲法がある。単にこれを厳格に適用すれば良いだけである。


財政負担なしで年金を増額する方法 [政治]

年金には不満が鬱積している。年々給付が切り下げられ、しかも年金の財政は火の車だ。少子高齢化ではこれが救いようのないものとして受け止められ、ほとんどの人が不満をためながら改悪を甘受している。

しかし、給付を引き上げてしかも財政を健全化する方法がある。こう言うと何か特別な方策かと思われるかもしれないが、世界的に見れば別段変わったことでもない。健康保険については各国共通の悩みだが、年金について悩んでいるのは日本だけだと言うのが事実だ。

アメリカで「日本では皆60歳でリタイアする」と言ったら羨ましがられた。生活を半分に切り詰めなければならない事を説明したら、それはリタイアではなくて、年令差別による首切りだといわれた。そのとうりだ。「アメリカでは」と一般的に言うと語弊があるのだが、一応、ちゃんとした会社の大卒サラリーマンなら、リタイアというのは現役当時と変わらぬ生活レベルで遊んで暮らせる身分になるということを言う。

年令や、人種、性別による差別はご法度なので、決った定年などというものはない。勤続年数が増えると年金がたまって、一方、予想生存期間が減っていくので、やがて現在の給料よりも年金の方が多くなる。それが、リタイアを決断する時だ。大方は65歳くらいまで働き、なかなか60歳では年金が給料に届かない。だから60歳でリタイアがうらやましがられたわけだ。

日本では年金は、少なくとも基礎年金は、なぜか60歳までしか貯められない。これが問題なのだ。何歳まででも貯められるようにすれば、額を増やすことは容易だ。例えば99歳から受給する人には年間1000万円出しても、60歳からの年間100万円よりも財政負担は少ない。平均余命で計算すると60才からの20万円は支給を遅らせるだけで75才からの40万円に相当することがわかる。

少ない年金を早くもらうか、我慢して十分な年金を遅くもらうかは個人の判断にゆだねる。こうすれば、日本人の特性として、年を取っても受給しない人が多くなる。とりわけ、高額所得者は余裕があるから年金受給を後回しにする。結果的に年金を受け取らずに死ぬ人も特に豊かな人に多くなる。死ぬ間際まで権力の座に居つづける様な金持ちは、大金を払うだけ払って受け取らないことになる。これは財政上なかなか好ましい。豊かでない人にとっても、頑張って受給を後回しにすれば、余裕のある老後が待っているというのはいいことではなかろうか。

財政が健全化して、しかも年金受け取り額は大幅に増やせることは確実だ。このような年金制度にすれば一律な定年の考えが薄れ、働き方と遊び方は各自の判断だになって行く。「働きすぎ」「過労死」などということも改善されていくのではないかと思う。

なぜ二世・タレントばかりが議員になるのか [政治]

日本の国会議員は世襲制の二世議員かタレントばかりだ。血族関係が根深いインドでも世襲が多いのだが、いわゆる先進国で二世議員が幅を利かせているのは珍しい。これはやはり制度の問題だろう。日本でも世襲議員が増えたのは小選挙区制になってからがひどい。小選挙区では強力な議員がいれば、毎回当選者は固定化し、それ以外の政治運動は根絶やしにされる。引退以外に交代はないから、当然後継者指名ということになり、お世継ぎの擁立ということになる。まちがいなく小選挙区制は世襲議員の温床となっている。

引退の時期に対抗馬が出ても、運動期間は極端に短く、付け焼刃の選挙運動では「知名度」がなくて負ける。知名度と言う点で世襲に匹敵出来るのはタレントである。有力なタレントが相手では二世も危うい。日本の選挙では知名度があることが圧倒的に有利なのだ。日本はインドのような血族社会ではない。二世の有利さも、実は選挙区内での知名度によるものだ。知名度がなければ真面目に政策も検討してもらえない。だから、選挙運動もひたすら名前を連呼して知名度を上げる事に専心する。

つまり、タレントと二世の根は同じで、いずれも知名度がものを言うことから生まれる選挙現象なのである。ここで問題なのは、なぜ日本ではそれほどまでに知名度が大切なのかという点だ。2年前からバラク・オバマなんて名前を知っていた人がどれだけいるだろう?彼の政治経歴といえば単なる上院議員でしかも1期努めただけである。アメリカの場合、大統領になるのに全く知名度は必要がないと言える。半年以上の長丁場で度々メディアに露出するから、だれでも選挙戦の最後には超有名人になっている。はじめから知名度がある必要などないのだ。

国会議員については、アメリカも小選挙区制で世襲を生み出す温床はあり、現にブッシュは親子で政治家だ。しかし、日本ほど多くなく、特に問題にもされていない。これは、公職選挙法のちがいによるものだ。アメリカは自由な国で選挙運動の制約がない。ビラも自由に撒けるし、事前運動の禁止などと言うことも無い。戸別訪問してじっくり話すことも許されている。選挙運動の期間に制限はなく事前運動に制約もない。つまり、知名度にかかわりなく十分な時間を使って、政策や人となりを訴えることができるのだ。逆に言えば訴える中身のない単なるお笑いタレントなどは当選のしようがないことになる。

日本の場合「暗闇選挙」と言われるほど規制が厳しい。選挙期間は2週間で、ビラ撒きも禁止、手紙も禁止。ホームページは禁止だし、手作りポスターも禁止だ。これだけ厳しい選挙規制をやっているのは日本と北朝鮮だけだろう。候補者はいずれも不恰好な名前を書いたタスキをかけている。Tシャツやプラカードに名前を書くほうがよっぽど良いと思うのだが、これも厳しく規制されていて候補者の名前がかける場所として、唯一指定されているのが「候補者の身につけるタスキ」だと言う。ようするに、選挙運動なしで候補を選ぶに等しい。だから知名度だよりになる。

どうしてこんなタレントか世襲しか議員になれないような選挙法が出来たかというと。日本の選挙制度は、農村型議員の多い時代に作られたからだ。当時、議員は長い間に培われた地域社会を代表するものであって、政策や主張とはかかわりなく選ばれるべきものであった。面倒見の良さが議員の要件であり、地縁血縁で固めた旦那衆の選挙なのであった。「演説がうまい」「文章が書ける」「政策を提示する」といった都会型要素が考慮されにくいように作られた。その良し悪しはもちろん議論のあるところだが、地縁血縁の地域社会が薄れた後もその制度がそのまま生き残ったために、タレントと世襲が跋扈するという予期せぬ奇形的な状況が生まれた。

公職選挙法が時代にあわないことは方々から指摘されている。現行法ではインターネットも使い様がない。選挙運動をもっとおおらかにして、自由に政策論争ができるようにすべきだ。そうすれば、タレントや世襲の問題もなくなり、多くの有能な議員が生まれるにちがいない。


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タグ:世襲制

09衆院選後の政局を占う [政治]

衆議院選挙が始まり、当落予想が盛んだが、その結果はもう決まっている。民主党の1人勝ちはまちがいない。ブームは予想を拡大するもので、今回も民主党がここまでもと驚くような伸びを示す。政権交代の時期には、基盤の弱い政権が生まれ、細川政権のように消費税や小選挙区制といった長年自民党の懸案となっていたものをあっさりと実現してさしあげるなどと言うことになりかねない。しかし、今回はちがう。民主党は圧倒的多数で単独政権を達成するだろう。

それでは鳩山内閣が着々と施策を進められるかというと、そうではない。まず組閣でもめることだろう。民主党も自民党と同じ保守利権政党なのだが、寄り合い所帯で内部の権力秩序が確立していない。自民党の場合、派閥が議員をまとめ、利権の配分に一定の秩序を形成する。 しかし、民主党の場合、そういった利権配分構造が確立していないので、生の利権争いが始まる。「貸し」を作っておけば後で「返し」を保証する派閥の長もいないので、それは壮烈なものとならざるを得ない。政策の実行どころではないのだ。

民主党は社会・自民・民社を母体とし、考え方や思想の一致といった基盤のない「選挙互助会」から始まった。だから政策にも当然統一性がない。今回の選挙では「高速道路をタダに」「後期高齢者廃止」「消費税は上げない」といったわかり易い政策を挙げてしまった。これを実行するためには「軍事費の削減」とかオバマ式の「高額所得者への課税と」いったことをやらなければならないのだが、それをやるような一致は見られない。自民党に替わる保守政党としての立場は捨てられないからだ。とどのつまりは赤字国債の発行で、とりあえずのばら撒きをやるしかない。

そうすると財政悪化が批判の対象になる。「公約を破って消費税派」と「財政悪化容認派」に分かれる。利権にありつけ無かった不満組を中心として、次期の政権逆転を見越した自民党への内通が始まる。一方自民党は、野党となることで、これまでの権力構造が崩壊する。もともと政権にありつくためには何でもするという集まりなのだから、野党としての存在に耐えられない人種も多い。民主党への鞍替えも当然起こる。民主党不満組みと組んだ政界再編をねらうだろうし、スキャンダルのたれ込みも多くなり、ゴタゴタが続くだろう。公明党はやはり政権亡者だからなんとか民主党の準与党になりたいのだが、単独政権の場合はなかなかうまく行かない。池田太作が死ぬようなことがあれば、こちらも政界再編に放り込まれる。

政治駆け引きに終始して、派遣対策、年金対策、老人問題などはそっちのけになる可能性も高い。政策はあちこちブレまくりの状態になる。これらの問題に対してブレないと言う意味では、共産党、社民党が存在感を増すだろう。しかし、この2党は民主党ブームのあおりを食って議席を保つことが難しい。存在感を増しても、政局の流れを変えることはできないことになる。いずれにしても、選挙後の日本も決して明るいものでないことは確かだ。

簡単確実な景気回復の方法 [政治]

選挙の争点の一つが景気の回復になっている。景気さえ回復すればすべてが解決するかのように言われている。しかし、民主党は実質、景気の回復策を持たず、自民党も結局は「待つ」という対策でしかない。実に情けない話しだが、実は景気の回復は難しい問題ではなく簡単に出来ることなのだ。

日本は輸出産業で成り立っている。要は国際競争力をつけて、製品の売り込み競争に勝てばいいのだ。国際競争力をつけるには技術開発を行ない、他国ではまねのできない製品を作り出せば良いと言われている。しかし、これには長い年月が必要であり、金もかかるし、研究というものは、やれば必ず成果が出るものでもない。それに、こういったハイテク技術も実は国際競争力とは関係がない。日本の技術も工場移転で、海外で使われている場合が多い。技術の開発国と実施国は別物になっているのだ。だから技術開発も国内の景気回復との関連性は薄い。

輸出するためにはもちろん製品を国内で作らねばならない。この場合の国際競争力を高める道は唯一生産コストを下げることに他ならない。歴史的にみれば、60年代の高度経済成長が何によってもたらされたか? それは、農作物の輸入開始や炭鉱の閉山だ。生活の立ち行かなくなった農民・鉱夫の子弟の多くが、都市にでて工場労働者になっていった。日本は最も簡単に安く労働力が得られる国だったのだ。生産コストを下げて国際競争力を高めることが日本が追及してきた構造改革の道である。改革を中途半端に止めてしまったから不況になった。景気を回復するには、改革をさらに進めれば良いだけのことなのだ。

具体的には、企業減税をさらに増やして、企業活動を活性化させる。税収が足りないならば、社会保障を切り下げれば良い。社会保障など経済の発展から見れば、何の役にも立たす、なまけものを増やすだけである。税収の不足は消費税の増税で補えば良い。25%くらいまで税率は上げられるだろう、消費税は実質的には賃金カットと同じだからすなわち人件費の削減だ。規制緩和をさらに進めて、労働力の流動化を促進する。つまり、もっと派遣とかの非正規労働を増やすのだ。これは賃金だけでなく、社会保険負担などの経費まで削減できるので大きく、国際競争力に貢献する。雇用は正社員を止めて派遣を基本とすれば企業は、製品が売れればさっと事業を拡大し、いつでもさっと撤退できる

日本の場合、派遣だけではなく、他にもいろいろ有効な手段があるからこれを活用することも大事で、補助金などで促進するべきだろう。それは、分社化、下請け化である。連結決算は廃止し、下請け企業ごといつでもスクラップアンドビルドが出来るようにする。もちろん請負と派遣の区別などの規制は撤廃する。今の本社のサラリーマンなど殆どが下請け会社の社員で置き換えられるものだ。そうすれば、自然、賃金が下がり、生産コストは半減するだろう。

日本の場合、正社員の解雇が難しいことが企業活動を阻害している。派遣や非正規正規雇用だけでなく、正規の労働者も自由に解雇出来るようにする。そうすれば企業はチャンスに躊躇なく生産を拡大出来る。国際競争力はこの上なく強化される。

景気の回復はいとも簡単な事なのだ。要するに給料を下げればよいだけの話しなのだ。この10年間、世界で日本だけが実質賃金を低下させた。これがリストラ景気といわれる一昨年までの好景気の実態だ。各社の業績は伸びたし、配当も増えたが給与は増えなかった。今後も経済発展のためにはどんどん給与を下げて行くのは当然の事だ。労働者の生活水準が高すぎることが日本経済の根本問題であり、これをインドネシア程度にまで引き下げられれば国際競争力は万全といえるし、景気もたちまち回復する。


ここまで考えて来ると、景気の回復が果たして望ましいものかどうか疑問となってくる。多くの人たちが望んでいるものは生活の向上であって、これは実は景気の回復や経済の発展とは何のかかわりも無いことである。否、むしろ全ての景気回復策が生活の向上とは逆方向に作用する。

景気回復の掛け声に騙されてはいけない。

日本はもはや絶対的貧困の国ではない。経済の発展が暮らしを豊かにすることにつながっていたのは20世紀のことである。政府発表の子どもまで含めた一人あたりの平均国民総所得が389万円である今、格差是正さえすれば、経済の発展は無くとも、勤労者全員が年収1000万円になる経済の規模がすでにあるのだ。


戦争はなぜ起こるのか [政治]

イラクではまだ戦火が収まらず、アフガニスタンへも広がろうとしている。争いは絶え間なく起こり、なかなか戦争はなくならない。戦争は人間の本性に起因するなどとしたり顔に言う人がいるが、そんなことはない。喧嘩のように個人の逸脱で起きるようなものではなく、国家という組織体の行動であり必ず、理由がある。

次々と戦争が起きる一方で、第二次世界大戦以降、大国間の大戦争が起きなかったことも事実だ。この60年間すべての戦争は大国対小国あるいは少数派の小戦争であった。古来、戦争の規模は武器の発達と共に拡大してきた。それが、第二次世界大戦を境に、大きく転換したことは明らかだ。このようなことを含めて説明できる戦争の原因を考えて見よう。

戦争は国家の武力行為で、大きな犠牲をはらってもやる価値があるものであった。日清戦争で日本は清国から賠償金3億6千万円を手に入れた。戦争で勝てば負けた側から金をふんだくることが常識的に行われて来たのだ。戦費として使ったのは2億2千万円だから、一億円以上の利益を得たことになる。当時の日本の国家予算が8千万円くらいだからこれがいかに大きいかわかる。八幡製鉄所はこの金で建設された。戦争に勝てば儲かる。これがこの時代の常識だったわけである。為政者だけでなく国民を巻き込んだ戦争賛美はこのような背景を持って生れた。

実際の金額だけでなく、植民地を獲得することで得られる利益は大きく、戦争はまさに、儲かる国家事業だったのだ。だから、強国と強国の衝突は避けられない。これが、いわゆる帝国主義の理論だ。第一次世界大戦は帝国主義戦争の理論にぴったり符合して行われた。しかし、第二次世界大戦の戦後処理は日清戦争の時代とは全くちがったものになった。ポツダム宣言は戦勝国の利権を一切放棄して、戦争を犯罪として戦争犯罪だけを裁くことにするという画期的なものだった。

この背景には、戦争のコストが高騰し、もはや賠償金などというものでは全く補えないことが明らかになったという事実がある。その後も少し規模の大きな戦争もあった。ベトナム戦争でアメリカの撤退をもたらしたものは、結局は戦費による経済の圧迫だった。いくらベトナムを支配しても結局戦争は赤字になる。戦争のコストが高騰した理由は、武器が高度になったことと、兵士の命が高値になったことである。今の国民は昔のように黙って命を差し出したりしない。それ相応の補償がなければだれも戦地には行かない。

帝国主義戦争が成り立たなくなったのは大変良いことだ。もはや、軍備というものが国家にとって無用の長物となりつつある。考えて見てもわかるように、日本を占領しても何の資源も得られない。統治は大変だし、日本人を奴隷にして働かせても生産効率は上がるはずもない。どの国も日本に攻め込むことで利益が得られたりするはずもないのだ。

ところが、今なお日本の軍事費は拡大の一途をたどり。アメリカも巨額な軍事費を使っているし、イラクやアフガニスタンを見てもわかるとおり小競り合いには絶え間がない。これは軍人であるアイゼンハウアー大統領ですら嘆いたように、第二次世界大戦中に形成された産軍複合体の肥大化に起因する。いまや経済の基幹を形成する軍事産業は強大になって、自己の増殖を進めるようになった。

冷戦というのは実に都合の良いものだった。ソ連の脅威と言えばいくらでも予算が取れた。装備の値段は跳ね上がり一人乗りのF2戦闘機が一台126億円で、文字通り「飛ぶように」売れた。軍事産業が基幹産業になり、多大な軍事費が経済を回すことになってしまった。ところが、困ったことにソ連の崩壊で冷戦が終了してしまったのだ。

軍事費が無駄遣いでないことを証明するためには絶えず小競り合いが必要になる。アメリカが世界各地で、同時にではなく、次々と小競り合いを起こしているのはまさに軍事産業を生き延びさせるために他ならない。フセイン政権はは9.11テロとは何の関係も無くイラク戦争がアメリカが理由無く仕掛けた戦争であることは今では明白だ。アメリカには戦争が必要であり相手はどこでも良かった。

日本でも、防衛費の増加と共に軍事産業が発達してきた。軍事産業は実にボロい安直な儲け口で、不況にも強い。一度手を出したらやめられない。しかし、戦争をしない軍隊はいつも無駄使いと指摘されるから、国民には外敵の恐怖を煽らねばならない。何でもいいから出兵して「働く」実績を持ちたい。それが、イラク派遣であり、ソマリア派遣である。テロとの戦いとはイコール軍事産業の権益確保なのだ。今や、戦争は軍需産業のために起こるのである。

民主党さん、これだけある約束守ってね [政治]

民主党政権の将来がどうなるか。まあ、マニフェストでいろんなことを約束してますから、まずはこの約束を果たしてくれないといけないですね。ここにマニフェストにある約束を挙げておきましょう。

まず、問題なのが財源を工面しなくてはいけない約束。これが出来れば財源論も空理空論でなかったことになる。

「子ども手当」創設
出産時助成金の支給
高速道路の無料化
国直轄事業の地方負担金制度の廃止

次に大きな制度改変。保守派からはかなり反発があるはずで、これが出来れば民主党政権は本物といえる。

選択的夫婦別姓の早期実現
インターネット選挙運動解禁
選挙権を18歳から付与する
公務員の労働基本権を回復します
「住民投票法」を制定
企業・団体献金の全面禁止

民主党の特徴は盛んに官僚を悪者にして、官僚を操っている財界に対しては何も言わないことだが、その表看板の反官僚が本気なのかどうかがこれらを実現するかどうかでわかる。

大臣に代わる官僚の答弁廃止
地方を拘束する法律や政省令の規定を廃止する、
国家公務員の再就職あっせんを禁止
「政府調達監視等委員会」を設置
早期退職勧奨を廃止

自民党のマニフェストはどうでもいい事を書き連ねたものだが、民主党のは「検証可能」な項目がかなりあり、それなりに厳しいものだ。「どれも出来ませんでした」と言わなくてもいいように、自分たちに都合のいいことで、出来そうなことも書き並べている。これは多分自民党も賛成に廻るが、やっても評価したくない約束。

与党議員が100人以上政府の中に入る。
「行政刷新会議(仮称)」を設置
国と地方の協議を法制化
衆議院の比例議席180中、80議席を削減します。
独立行政法人等は、原則廃止


さて、どうなるだろうか。

帝国主義論争 [政治]

若かりし頃、学生たちは議論好きだった。その一つに帝国主義論争というのがあった。日帝自立論と対米従属論の論争だ。急進的な学生の間で人気だったのは日帝自立論で、「ベトナム戦争への加担はア、まさにイ、日帝がアジア侵略をオ、」とやるのだから、日本が帝国主義国であることが全ての前提にある。

帝国主義というのは、資本主義の最高の発展段階で、独占が進み、国家と共謀した軍事的凶暴性を身につけたものだ。帝国主義国は他国を侵略し、互いに利害の対立をうみ、必ず大国間戦争になる。これが帝国主義戦争で多くの国民はそのために駆り出されて犠牲になる。

で、日本は資本主義が十分発展しているから当然帝国主義であって、ベトナム戦争は、アジア侵略の第一歩だというのだ。

しかし、日本が帝国主義ならなんでアメリカと軍事同盟なんだ?帝国主義どおしの激突が起こるはずではないのか。そもそもアメリカ帝国主義は、一旦日本を完全にその支配下においたはずだ。帝国主義は、支配する植民地を立派な資本主義国=帝国主義国に育て上げるものなのか。アメリカがベトナムを帝国主義になるまで発展援助するなら、それは侵略ではないことになる。

対米従属論を取っていたのは共産党の影響が強い「代々木系」と呼ばれていたグループと「毛沢東系」のグループなのだが、「代々木」の見解では、日本は高度に発達した資本主義国ではあるが、アメリカの半植民地であって帝国主義ではないことになっている。こちらの方は、歴史的経過には符合するが、なぜ資本主義が高度に発展しても帝国主義にならないのかという疑問がでてくる。回答としては、今に帝国主義になるが、まだなっていないと言うだけだとのことであった。では、何時なるのだという疑問がすぐに沸いてくる。

どちらも、資本主義が発達すると帝国主義になるという原理をかかえているのだが、それを捨ててしまうと、なぜアメリカがベトナムを侵略するのかという説明がなくなるから困るのだ。全共闘系は「日帝との正面衝突を回避する日和見主義」となじり、代々木は「アメリカ帝国主義を免罪する日和見主義」となじった。

今振り返ってみれば、もはや帝国主義の時代は終わったと思える。第一次世界大戦は帝国主義戦争であったが、第二次世界大戦で、イデオロギー戦争の側面が加わり、植民地の独立運動が加わった。独立運動に敗北する大国も出てきて、凶暴な軍事力を備えた高度に発達した資本主義としてはアメリカだけが勝ち残った。もはや帝国主義戦争が起こる下地がなくなった。事実、この60年の間、大国間の大戦争は起こっていない。

アメリカはその後も帝国主義的な振る舞いを続けてはいるが、世界を完全に支配しているわけではない。軍事力による支配ができない時代に突入したのだ。戦争はもはや経済的に成り立たなくなったと言ったほうが良い。武器が高度に成り、値段が高騰したし、兵士の労働コストも高くなった。昔のように戦争で国が富むということはありえなくなったのだ。その意味で帝国主義は死滅した。

現在ある戦争は、役立たずの軍事力を維持するためのアリバイとして軍需産業が画策した小競り合いにすぎない。小さな戦争「テロとの戦い」を繰り返して軍事産業の利益を確保しようとしているだけだ。アメリカですでに斜陽になりつつある軍事産業に遅れて乗り出した日本が、猿真似をしていれば、経済はますます落ち込んでいくだろう。



領土問題の難しさ―――北方領土を考える [政治]

領土問題はどこでも難しい。なぜかというと、双方で認識が異なるからだ。一方で誰でも納得する常識が、他方では誰も納得しない非常識になる。北方領土問題でこれを考えてみよう。

日本には国後エトロフが日本領であることに疑いを持つ人はまずいない。地図の上からも、いかにも北海道島に付属した島に見える。歴史的にも、日本とロシアの間には何度かの条約があったが、いずれもエトロフ国後が日本領であるとするものばかりだ。国後エトロフについては誰が考えても日本領であることに問題はないはずだ。

ところが、エトロフ島にはロシア人が住んでおり、しかも昨今やってきたのではなく、一時日本軍に追い出されたりしたが、何世代か前から住み着いているというのだ。慣例上古くからロシア人が住んでいるならばそこはロシア領だ。感覚的にねじれを感じる。なぜこんなことになるのか。

実は日本側の思考に落とし穴があり、北海道が日本であるということが全ての前提になっている。ところが、これがそう確実な事実ではない。日本が北海道に進出したのは、それほど古いことではないのだ。長らく蝦夷地はアイヌの領土であり、幕府は日本領土と考えていなかった。松前藩は境界線を引き、そこから南にアイヌ人が来ることを禁じ、また日本人も北には行かせなかった。アイヌは日本人ではないと定義したのだ。

江戸中期以降、近海に外国船が出没し出して、幕府は北海道の領地を意識し始めた。日本人も蝦夷地に進出して行った。しかし、蝦夷地をねらっていたのは日本人だけではなくロシア人もそうだった。漁場を求めてロシア人たちは千島列島を南下して択捉島に到達していた。幕府は急遽、蝦夷地の測量、探検に乗り出した。

近藤重蔵が探検して択捉に至り、日本領土であるという標識を立てた。しかし、これは国境紛争に関しては逆効果になる。ロシア領であると言う標識を引き抜いて、日本領標識を立てたとしっかり記録してしまっているから、ロシアの先着を証明したようなものだ。

ところが、この後結ばれたロシア日本間のあらゆる条約では択捉は日本領になっている。これは一重に幕府密偵の間宮林蔵の活躍によるものだ。そのころ樺太は大陸につながる半島であると考えられていた。ならば、領土問題は起きようがない明らかなロシア領だ。ところが間宮林蔵は測量して樺太が島であることを証明してしまった。当時の常識から言えば島を発見したのだから当然日本領となる。

旗本近藤重蔵は探検家というより、国策家であった。択捉には鰊漁の番小屋を幕府直轄で作り、アイヌ人を駆使した漁業基地を営む植民地経営も確立た。このことで、国境線を択捉とウルップ島に確定する既成事実を作り、蝦夷地全体を確保するのが目的だった。

ロシア政府はさぞかし困ったことだろう。そこで国後、択捉、歯舞、色丹の4島を手放す代わりに、樺太は帰属未定とすることで決着をつけた。住民であるアイヌもオロッコも択捉ロシア人も全く無視した政府間の取り決めである。さらに後年、樺太をロシア領にして、そのかわり千島全島を日本に引き渡すことにした。

住民を全く無視して、江戸やペテルブルグで勝手な国境線を引いた事が、問題をこじれさす原因なのだが、さらに問題はこじれた。日本は戦争で樺太南半を分捕ってしまったし、第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約では、樺太のみならず千島を放棄してしまった。

サンフランシスコ条約にロシアが参加していないとか、南千島は千島ではないなどと言っても屁理屈にすぎない。国際連合国全部に対して千島の放棄を宣言したのはまぎれもない事実だからだ。実質的にはロシアも追認しているサンフランシスコ条約は、その後の日本の存立基盤をなすものだから、これを破棄して再び連合国との交戦状態にもどすわけにも行かない。だから北方領土交渉では、歯舞、色丹の2島返還がいいとこだろう。これは千島列島ではないと言えるからサンフランシスコ条約にも抵触しない。南千島は千島ではないなどと言うのはあまりにも屁理屈で失笑を買うだけだ。

もっと現実的には日本は「土」にこだわらないほうが良い。こんな島は日本領になっても過疎に悩むだけである。地べたをあげる代わりに千島列島近海の共同漁業権、樺太の天然ガス共同採掘権をもらう交渉ができれば、素晴らしい外交の成果だといえる。



世界最古の国はアメリカ合衆国 [政治]

私の知る限り世界で最も古い国はアメリカ合衆国である。アメリカ13州は1776年に独立したが、全体でアメリカ合衆国を構成したのは憲法を制定した1789年である。その後、「アメリカ合衆国」は200年以上も続いている。これが世界で一番長続きしている国家体制である。

意外に思われるかもしれないが、あとは全て新しい国家体制に変わって国名も変えられている。アジア・アフリカの新興国はもちろん、革命や政変が何度も起こったフランスや、東西に分かれていたドイツが新しいのは当然として、他の国々も決して新しくない。


大日本帝国は第2次世界大戦で滅びて日本国になったし、大英帝国はインド独立でインド皇帝などを兼務できなくなって帝国でなくなり、連合王国になってしまった。現在のオランダ王国が成立したのは、ナポレオン時代フランス領であったために、1802年になってからとなる。スペイン王国は共和制・フランコ独裁を経ての王政復古でこれは1975年になる。

実はネパール王国が古く、プリトゥビ・ナラヤンがネパールを統一し、シャハ王朝を作ったのが1769年だから、形式上はアメリカよりも古いことになっていた。これとて長い間のナラ家執権支配のあと トリブバン国王が亡命先のインドより帰国し王位に就いて立憲君主制になったのは1951年だ。2008年にネパール共和国になったので現在はもちろんアメリカより新しい。

こうして見れば、成立して60年以上になる日本国も今や「非常に新しい国」ではなくなったことがわかる。日本国憲法のもとでの国家体制もしかりと根をおろしたものになっている。改めて読んで見ると、文章自体も、プロシア憲法の下手くそなパクリである明治憲法の稚拙さと比べて、格段の気品がある。明治憲法は明治22年制定だから大日本帝国体制は56年の短命に終わったことになる。

日本国憲法については、GHQの押付であるとの議論もあるが、国会でも全員一致、世論、学会、論壇もこぞって賛成し、文字通り国民の総意に基づいて成立したことに間違いはない。この制定にGHQが関与したことは、逆にアメリカ軍政の質の高さを感じさせる。民生局の軍人たちは実は、日本の法律学者がたじろぐような法律の専門家だったのだ。

挙国一致などといいながら、帝大学士を二等兵で召集して才能を浪費したた帝国とは異なり、法律の専門家を代将にまで昇進させてその才能を発揮させた。こんな国と戦って勝てるわけがない。これも独立宣言以来の憲法伝統を見事に発揮させた結果と言える。世界最古の国の伝統の成せる技である。

警察は大丈夫なの―ー中国ギョーザ事件 [政治]

あの毒入りギョーザ騒ぎは2008年だからもう2年にもなる。中国製のギョーザに農薬が入っていて食べた人が重態になった。そのことで日本中が沸き立った。折から食の安全に関する不安が鬱積していたところにこの事件が起こったものだから。問題は一挙に中国製の食品全体に波及した。

中国当局からは、調べたが生産工程で農薬が混入するような可能性はないとの回答があったが、日本のマスコミは、そんなことでは納得せず、中国警察の捜査がいい加減であることを暗示し続けた。その根拠が日本の警察によって発表された包み袋には穴がなかったという事実だった。穴がなければ、これは包装前に入ったもので、生産工程でしか入れようがない。まして、日本国内で入ったことはあり得ないというのがマスコミの主な論調だった。

2年たって犯人が逮捕され、中国の警察が日本にも調査に来た。犯人は注射器で箱の外から農薬を入れたという。つまりこれは生産工程が全て終わってからのことだ。日本の警察発表とはあきらかに矛盾する。討議の結果日本の警察は、穴を見逃していたことがはっきりして、中国には謝った。いい加減だったのは日本の警察だったのだ。

たまたま犯人は中国人ではあったが、箱の外から注射器で入れるなら日本ででも出来る。 穴がなかったから国内に犯人はいないとして捜査すらしなかった日本の警察は根本的に間違っていたわけだ。

このために多くの国内の中華料理店が泣いたのだ。これは一種の冤罪事件だと思うし、警察の責任は大きい。

安倍首相が辞任した理由 [政治]

3年前の手紙が出てきた。まだ入院中のころだったが、今読んで見ると面白い。

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安倍首相の辞任会見を非常に奇異なものと感じませんでしたか?。政治資金・年金・雇用と安倍首相を追い込んだものが一杯あるのに、この会見では「テロとの戦い」のことばかりで、それしか言わないという異常さです。安倍氏が最初から「テロとの戦い」で登場したわけでもなく、これまで「テロとの戦い」を第一課題に押してきたわけでもありま
せん。なぜ、辞任の時だけ「テロとの戦い」ばかりになるのかと言うのが私の疑問に思ったところです。

安倍氏の思想的基盤を考えて見ましょう。安倍氏はあの時代の学生運動にも影響されず、特殊な環境で育った純粋培養の右翼です。「自由主義史観」と自称する歴史教科書歪曲派に属し物事を観念的に歪曲して見ます。「自由主義史観」というのも変な造語ですが、一言で言ってしまえば「皇国史観+親米」です。
こんなつぎはぎが成り立つのかと思うのですが、再軍備も憲法改悪も、実際日本の戦後はアメリカの後押しで「復古」を進めて来たわけですから、実は現実的基盤は意外と強固なのです。右傾化をアメリカの後押しですすめるのが自民党政治の基調だったわけです。

さて安倍首相が力をいれてやったことは、「美しい日本」を戦後レジームから脱却させるという改憲路線の推進でした。国民が望んでいた年金・格差・雇用の問題には全く関心を示さず。街宣右翼さながらに皇国ニッポンを褒め称えるばかりでした。安倍首相はこの右翼路線は当然、アメリカからも支持されると踏んでいたでしょう。

しかし、訪米のあとガラっと落ち着きがなくなりました。日米会談で明らかになったことは、やはり日本が中国朝鮮を侵略したという事実は消しようがなく、世界は第二次世界大戦への反省から出発した「戦後レジーム」で成り立っているという事実です。慰安婦問題などで思いもしなかったアメリカ社会とブッシュ大統領からの批判を受け、思想的に動揺を受けてしまったのです。ブッシュ大統領は皇国史観にあからさまな嫌悪を示しました。

自民党政府にとって命より大切な日米関係が折れ曲がった。これは大変なことです。だから豪州会談ではひたすらアメリカのご機嫌を取らざるを得なかった。これが突然言い出した「テロとの戦い」の重視であり、その結果、職を賭けるとまでの極端な発言になったということではないかと思うのです。参議院選挙で破れても、政治資金でボロ出ても、それまでの首相は他人事の様に平然としていたではありませんか。しかし、豪州会談のあと急に時期遅れの「テロとの戦い」を言い出し、辞任までそれ一辺倒だったのです。

安倍首相にとって給油停止による日米関係の歪は、「皇国史観」にブッシュ大統を同調させようとした大失策と
重なって取り返しのつかない汚点になってしまったわけです。「皇国史観+親米」という思想的基盤が崩れたことによる動揺こそが安倍首相を辞任に追い込んだ本当の理由ではないでしょうか。

これは、改憲思想が破綻に追い込まれているという事です。憲法9条は世界史的にみれば人類の進歩の方向を示すものです。「皇国史観+親米」などというチンケなもので蹂躙できるはずはありません。ここしばらく持ちこたえれば、きっと憲法は守り切ることが出来ると思います。


鳩山政権のいい加減さ [政治]

沖縄の米軍基地問題はいっい何だったのだろうか。基地撤去を掲げた民主党が政権を取り、アメリカもテニアンへの移転などを覚悟したらしい。政権公約というのは重みのあるもので、アメリカでも大統領は公約に掲げたことはとにかくやろうとする。必ずしも公約は実現しないのだが、大統領は必死の努力をする。公約をどこまで実現できるかが、大統領の大物度を決めるからだ。クリントンは国民皆保険を掲げたが、共和党の反対に合い、保険会社の猛烈な議員取り込みに負けた。オバマは就任早々法案を通したがかなりの妥協を強いられた。鳩山政権も必死の努力で手ごわい交渉を強いてくるだろう。そう考えたのである。

ところが、日本の新政権は、一言、政府間の約束事だから政権変わってもまもってエ、と言ったらそれで終わってしまった。実に拍子抜けだったにちがいない。別に自民党が頑強な抵抗を示して論陣を張ったわけでもない。米国が大統領が乗り込むなどの手を打って、頑強に主張したわけでもない。国内の基地賛成派が大々的なキャンペーンで対抗したわけでもない。新政権が公約を引っ込めなければならない理由はどこにもないのだ。

要するに、民主党鳩山内閣は最初から基地撤去なぞしたかったわけではないのだ。たまたま沖縄に行ったら、基地のことを言わないと票が取れそうにない雰囲気だったので口走ってしまっただけなのだ。だから、なんの抵抗があったわけでもないのに自滅的に公約をやぶることになった。

これも、普通は考えられないことだ。卑しくも政権を狙うような政治家が、よく考えもせずに、重大な政策を口走るということはありえない。それこそ、政治家としての資質を問われる問題だ。だれが、そんないい加減なやつに投票するものか。

しかし、日本では鳩山続投の話まである。ここまでくれば投票する日本人がアホとしかいいようがない。いままで汚職まみれで、政治資金の疑惑だらけでなおかつ議員を続けている政治家がいっぱいいる国なのだ。漫画しか読まず漢字もしらなくても総理大臣になれる国なのだ。しかたのないことかもしれない。

鳩山退陣。 なんでまた? [政治]

新政権になり、ごたごたしながら、施政方針を決めたように思われた。公約違反で国民の期待を裏切った内容ではあったが、自らの考えを貫いたことにはなるだろう。そこで退陣するというのがまた訳がわからない。沖縄から米軍を追い出すのに苦労して、力尽きてやめたのでもなんでもない。

要するに、鳩山さんがやりたかった事は、政権交代であり、首相になることであった。その意味で、実はもう目的は果たしたのだ。別に何のために政権交代するか、何のために首相になるか、確固とした目標はなかったのだ。アメリカの大統領はほとんどが2期8年を全うする。日本ほど首相がころころ変わる国もないだろう。

ころころ変わっても一向に代わり映えしない。彼らは皆、総理大臣になりたいだけなのだ。なって何を実行したいかはたいした問題ではない。ただ首相になりたいだけなのだ。だから、政党を変わったり、主張を変えたり、とりあえずなんとか当選しそうなことをしゃべるわけだ。

それにしても退任の弁がすごい。「国民が聞く耳を持たなくなった」って、あんたは一度たりとも国民の声を聞く耳を持ったことがあるのか? 「基地撤去を約束しましたが、やっぱりやりたくないのでやめまーす。 鳩山さんも大変ねえ。それでいいよって言ってください」なんて、それは無理に決っているだろう。 

管直人と言う首相 [政治]

菅直人が首相になった。鳩山がやめてくれたのでタナボタで首相の地位が転がり込んだ。さて、この人はどのような政治を展開するだろうかと予想してみる。鳩山がやめた理由はもちろん公約違反を追及されると答えに詰まるからである。菅はなにも公約していない。責任を全部鳩山にかぶせて、公約違反はやめましたで通すことが出来る。しかし、まあ選挙の時に遡ってみれば、菅も同様で、いろいろと耳障りの良いことを言ってしまっているだろう。予防線としてはマニフェストを持ち出すことだろう。選挙の直前には、政権担当色が濃厚になっていたので、実は今回のマニフェストはかなり後退したものになっていた。これまでの言動と照らして追求されたら、マニフェストにはないが主張は変わっていないと言っていたのだ。

さて、フリーハンドを得た菅はどう出るか。沖縄は辺野古基地新設で行くだろう。自分は県外と言っていないからウソではないと言い張る。つまり辺野古に基地を作りたいわけだ。その意味では消費税も増税できる。

しかし、菅という人は機を見るに敏で、スタンドプレーを身上としている。そう、悪役にばかり徹していられない。子ども手当てとか高速道路で、点数を稼ぐことがまず第一だろう。沖縄の問題なんかを国民に忘れさせることだ。派遣法はしゃにむに成立させる。たいして代わり映えのないものなのだが、やったという印象を与えることを考えるのだ。少なくともぶれないという印象を与えるのはうまいだろう。

それとG8だかなんだかの国際会議、多分これには力をいれるだろう。これほど良いスタンドプレーの場は無い。ここで、国際援助などの大盤振る舞いをしてしまうし、アメリカとも食料輸入などで約束してしまう。彼には自分を抑えてスタンドプレーを慎むということが出来ないのだ。その結果、財政難で消費税増税の悪役をひきうけることになるかもしれない。

このあたりでおそらく息切れだろう。自身か身内にボロがでて、やはり政治とカネに足をすくわれる。小沢などの元自民党勢力に気を使ったことが仇になる。菅が自民党歴を持たず、小沢と一線を画す点で、党内の分裂を予想する人もあるが、この点にかけては社民連以来、いろんな政党を渡り歩いた百戦錬磨の経験が物を言う。結構小沢なんかとはうまくやる。自民党筋が擦り寄ってくるので、うまく天秤にかけるだろう。

どっちみち特に国民のために何かする政権ではない。誰がやっても同じだということを根付かせるためにやっていうようなものだが、そんなことはない。政権が変わって暮らしがよくなったと言う経験は日本人が一度も持たないだけで、世界にはいっぱいある。

参議院選挙の選択基準 [政治]

民主党政権になって初めての選挙になるが、今回は参議院なので直接の政権選択にはならない。しかし、もちろん今までのところでの民主党政治の評価を与えるものになることには間違いが無い。どんな評価を示せばいいのだろうか。

大きな流れとして、長い間の自民党政治を終わらせたのは大きな事だ。自民党という政党が50年も政権を独占したことにより、政治家・官僚・財界が一体となった支配体制が出来てしまった。国会での議論ではなく、すべてが裏の取引で決るという異常な状態が続けは当然、経済も、文化も停滞する。

今回の政権交代は、国民がこういった政権独占にはっきりとノーを言い渡したことで、確かに画期的なことである。だから参議院選挙では、前の自民党政権の方が良かったというメッセージを出す国民、はまずいないだろう。自民党自身がそのような主張ができないくらいだ。自民党は政党としての機能をまったく失ってしまっており、野党となったら何も政策議論が出来ないという醜態を見せている。

それでは、今度の参議院選挙で国民が示すべきメッセージは何かと言えば、ぶれまくる民主党政権に、国民が望むぶれの方向を示すことである。この間、ぶれた内容は多岐にわたる。沖縄に米軍基地を置き続けるのか。消費税を増額してさらに消費を抑制するのか。後期高齢者の医療制度を姥捨て山としてしまうのか。非正規雇用を野放しにしたままにするのか。イラク戦争で膨れ上がった軍事費を放置するのか。

こういったことに国民ははっきりと国民が望む方向を示すべきだ。これは、議席のカウントではない。議席のカウントから言えば今回の選挙で大きな変化はおきない。国民の望む政策の方向にある政党が得票を増やせばよい。そのことによって、国民は政権に対して方向を示すことができる。

当面、消費税の増税にはっきりと反対の政党。沖縄の基地にはっきりと反対の政党の得票を伸ばしたい。

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2010参議院選挙の示すもの [政治]

参議院選挙は民主党が後退し、自民党が伸びた。中身をもう少し見てみると、比例区ではやはり民主党で、自民党は一人区で圧倒的な強みを見せたと言う事だ。一人区というのは地元に根付いた選挙地盤というものがいかに物を言うかを見せ付けられた気がする。長い間に根づいた利権の連鎖を前の衆議院選挙では民主党ブームが上回っただけだ。民主党が、基地も、非正規雇用も解決を放棄し、庶民の期待を裏切ったことでブームが去った。小沢離れでかろうじて盛り返したが、消費税の増税に言及するといったことでブームをすっかり消してしまったということだ。

しかし、民意が自民党に回帰したというわけではないことは明らかだ。比例区の得票がそれをしめしている。まだまだ日本の闇は続くが、管総理が敗因が消費税であることを認めたことは大きい。少しづつでも民衆のの立場に立たないと票が取れないということが認識されていけば、世の中は変わるだろう。今回、私は国外にいて投票することが出来なかった。アメリカの様子を見れば、大統領は失業率に一喜一憂するし、金持ち増税が議題となり、景気回復のためには福祉が一番だといった議論が堂々と語られている。何が票になるかの認識がはるかに進んでいるといわざるを得ない。

経済復興対策-―日米の違い [政治]

世界はまだ不況だが、アメリカは日本よりも一足先に回復の兆しを見せている。経済復興対策に明らかな日米の違いが見られる。日本の対策は基本的には低金利と企業減税で投資を促すという古くからの手法の繰り返しである。しかし、金利は元々低いし、企業への課税も最低レベルなのだからこれ以上対策の仕様がない。だから、つまるところ「何もしていない」のである。どうせ好景気になったところでたいして給料が上がるわけでもないので、国民もきたいしていない。ひたすら待つだけだ。

アメリカは、オバマ政権がこれまでのブッシュ政権とは明らかに異なるスタンスを取り始めた。ためこみの多い富裕層に増税して、社会福祉に回す。軍事費も削減して、福祉増額もやろうとしている。福祉への資金投入が経済に有効なことは明らかで、この金は直ちに消費され経済を回す。大統領は毎月の失業率統計に必ずコメントしているようだ。企業減税も、60日以上失業していた人を正社員に雇用した会社に行うなど、内需の拡大を意識した政策を実行している。

全く無策でただ待つだけと積極的に内需拡大に手を打つことでは明らかな結果の違いが現われる。残念ながら日本では自民党も民主党もオバマ大統領に学ぶ姿勢がまったくない。資本主義の総本山米国と同じような政策を掲げるのはなんと共産党だけである。異常としか言いようが無い。

消費税の論議 [政治]

管首相は社会保障と消費税を一体で考えて行くと発言している。これはおかしな話だ。どうして一体で考えねばならないのだろう。どうして防衛費や企業減税は消費税と一体で考えないのだ。社会保障だけが消費税と一体になる理由はどこにもない。

それどころか、社会保障は憲法にも定められた国家の義務である。税収があろうがなかろうがやらざるをえないことなのだ。何物とも一体にして考えてはならない絶対的事業なのだ。首相には憲法に定められた国家の役割をまじめに果たす気持ちがあるのだろうか。

企業減税や米軍基地の負担は国家の義務でもなんでもない。何と一体で考えてもかまわないし、やらなくとも一向に差し支えない。政府の裁量の範囲であるから、いろいろな税収とのからみで検討すればよい。

社会保障と消費税を関連付けるなどというのはもってのほかだ。そもそも消費税が導入された時に社会保障のためといいながら実際は企業減税に使われたという経緯もある。増税を社会保障とのからみで議論する時には必ず嘘が含まれているとみるべきだろう。

弱肉強食論と楽観平和論 [政治]

人にはそれぞれ考え方があり、政治的意見は異なる。その考え方の違いの原因は弱肉強食論の受け入れ度合いによるものではないかと思うようになった。弱肉強食論と言うのは強いものが勝ち弱いものが負けるのが当たり前だという原理であるが、これをどう受け止めるかで人間の考え方の根幹がだいたい決まるのではないかと思われる。

もっとも強く是認する人は、弱者を省みないが実力主義で自分にも厳しい。弱い奴は怠慢なだけだと考え、悔しかったら強くなれと主張するし、自身も頑張っている人が多い。これにもっとも強く反発する人は平和主義・平等主義で、弱者の味方だ。弱い人が苦労するのはは社会システムの欠陥だと考える。

大抵の人は、ある程度弱肉強食の現実はしかたのないものとして受け入れ、弱者への思いやりも必要と認める中間派ということになる。中間派もかなりグレードに分かれる。これがいろいろな政治的意見の分かれ道になっていると思う。

例えば平和に関して弱肉強食度の高い人はは武装強化を考える。これを否定する人は平和主義者だ。国と国との関係が和平協調であれば武装はお互いを傷つけるおろかな行いである。日本国憲法はは言うまでもなく平和主義の立場を取っている。逆に、国と国の関係が弱肉強食ならば、生き残るためには武装するしかない。改憲論者は多くこの意見を持っている。

弱肉強食度の高い人は競争を是認し、格差が社会の活性を生み出すと考えるが、弱肉教職度の低い人は格差を忌み嫌う。弱肉強食に対する態度は時代によっても変わり、昨今では、殺伐とした世相を反映して、弱肉強食を現実として是認する人が増えているのかもしれない。自己責任という言葉がよく聞かれる。

しかし、本当に弱肉強食が徹底されたら、人間は耐えることができない。弱者に対するいたわりがあるから人間の社会なのだ。

弱肉強食を最大限に信じていたのは戦前の日本だ。弱肉にならないためには強食しなければならない。西洋に侵略されないためには自ら朝鮮・中国を侵略しなければならない。そう本気で考えていた。その結果が悲惨であったことは敗戦で思い知った。

第二次世界大戦のあと大戦争はぴったりと停まっている。20世紀の前半と後半は戦争の起こり方がまるで違う。人類は少し進歩したかもしれない。少なくとも戦場で失われる人命に関して敏感にはなった。弱肉強食とは反対に、国と国との関係は和平協調でありえる。だれもがこの信念にたいする信頼を少しは持つようになった。

「楽観的平和」と「弱肉強食」この2つの間で多くの人は中間の立場にある。どの程度どちらに近いかが、その人の考え方を大体あらわしていることになると思う。それがいろんなところに現れ、現実主義対理想主義、個人主義対国益主義、民生福祉主義対経済成長主義、自己責任論対社会責任論などとなっているのだ。

アメリカの年金って [政治]

アメリカの年金はどうだろうというと、普通のサラリーマンの年金は日本よりもかなり恵まれている。定年と言う制度はないから何才でも働くことは出来、年金の上限がないので、働いておれば平均余命との関係でどんどん年金額は増えていく。年金が現在の給料に近づいたら、もう給料のために働くという意味はなくなるから大抵65歳位で年金生活に入る。中には70を超えてまだ働いている人もいるが、こういう人は給料を貰うよりも年金をもらったほうが額が多いのだから、お金を払って働いているのと同じだ。若くしてリタイアする人は、もう十分かせいだということで、いずれも年金生活者というのは満ち足りた人たちである。年金生活になると現役時代から比べるとかなりつましい暮らしを強いられる日本とは大分ちがう。IRA口座という個人年金も盛んだ。これに貯金すればその分所得税が引かれる。引き出すときには課税されるから、退職後に受け取る後払いの給料ということになる。

大会社や公務員ではない自営とか農業の人はどうなるかと言うと。金があればIRAで問題がないが、金がないと格差社会なのでこれはなかなか厳しい。日本の国民年金に掃討するsocial security benefit と言うのもある。social security tax と言って税金として徴収するから日本よりも加入率が上がりそうなものだが、払っていない人が多い。こういう人たちは結局生活保護と言うことになる。格差社会を作れば、結局、社会保障費の増加と言うことで納税者の負担は増えて行くことになる。生活保護を締め付ければ今度は犯罪率が増えてこれまた財政を圧迫する。アメリカではとうとう刑務所人口が百万人を越えてしまった。日本は今のところ確実にアメリカの後追いをしている。
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1ドル80円の----円高の本当の原因 [政治]

一ドルが80円になった。なぜ、こうも円高になるかという理由を考えてみよう。為替レートというのは普通は安定したものだ。輸入消費が増えて外貨が不足するとドルが高くなり輸出が促進される。輸出が増えて外貨が余ればドルが安くなり輸入消費が促進される。これが為替レートがバランスする仕組みだ。

ところが、この10年間日本は輸出が増えるばかりで一向に輸入消費が増えない。輸入はもっぱら原料であり、これはさらに輸出を増やす元になる。関税が高いせいだとして関税を下げた。設備投資を増やせばインフレになるだろうと金利を下げた。それでも一向に円高は止まらない。

これは、通貨の根本のところに目をつむっているからだ。日本では輸入に見合って輸入消費が増えないことが根本の原因なのだからこれを解決する以外にない。輸入消費を含めた消費を増やすというのは平均給与を上げることだ。給与が増えても貯蓄するだけという層の収入を増やしても意味がない。貯蓄がなく、給料があがればすぐ消費に回るといった層の賃金をあげるべきなのだ。

円高になれば、賃金を下げてコストダウンを図るという企業のまちがった対応を規制しなかった政府の責任だろう。いや、通常は企業がそんなことをしようとしても労働組合が許さない。アメリカでもフランスでもストライキは]日常茶飯事だが、日本では労働運動が抑圧されて、ストライキもめったに見ないという異常な状態が何年も続いている。健全な労使の緊張関係は実は資本主義に必要なことなのだ。

どこの国でも労働者側におされて少しづつの賃上げはある。給料が上がった結果として製品の値上げがあった。ところが日本では給料が下がっているという事態だ。インフレの国の通貨が安くなりデフレの国の通貨が高くなるのは理の当然だろう。労使関係のアンバランスが実は円高の本当の原因だ。労働法の根本的改正が必要で、企業と労働組合の癒着を廃する必要がある。そうでなければ、日本は円高と賃下げの悪循環でこのまま地獄を見続けるだけである。

現在のように労働組合が企業別に組織されていれば、癒着が起こるのは当然で、労働組合は本来、職能別に再編されなければならない。職能別組合というのは、溶接工労働組合とか組立工労組があって、ニッサンであろうとトヨタであろうと、横断して加盟する組合だ。その職能の賃金を交渉するのだから企業とは癒着のしようががない。

営業労働組合、経理労働組合、プログラマ労組とかもあるべきだ。日本で職能別組合に近いのは医師会とか調教師会、弁護士会で、これを見れば職能別組合が強力であることがうなずけるだろう。

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尖閣:船長の釈放は間違いか [政治]

安倍晋三がアメリカに行って右派の上院議員と会談して、尖閣問題で船長釈放は誤りだと言われた。確かに政治的にはまずい処置だった。なぜまずいかと言うと、この釈放は明らかに政治的だったからだ。なぜ政治的釈放がまずいかというと、それが政治的逮捕であったということの証拠だからだ。中国は最初から政治的逮捕だと主張しており、政治的釈放はそれを全面的に認めたことになる。

なぜ、そんな政治的な釈放をしなければならなかったかと言えば、政治的にはそうする他はなかったからだ。強行に政治的逮捕でないと言い張り、起訴手続きに入れば、緊張が高まり、とんでもない経済損失をもたらすこととが歴然としている。

この不景気に中国との貿易が停滞すれば、倒産する企業が続出する。今や、中国は日本の最大の貿易相手国であり、中国貿易なしには一日とも生きられない。中国とは喧嘩をするなというのが経済界からの絶対的要請なのだ。自民党化した民主党政権がこれを無視して動けるはずが無い。

どうせ政治的釈放をするなら、最初から政治的逮捕などしなければ良かったのだ。「日本がおとなしくしているから中国になめられる」などという熱湯欲の妄言に踊らされた公安当局のフライングでしかない。見通しも無い軽挙妄動の見本だ。行動する前によく考えろ。

大体、尖閣問題で軍事力を議論するのが間違っている。中国は10億の人口があり、日本以上のGNPがある。さらに核もICBMも持った軍事強国なのだから、巡視船ごときで脅せる相手ではない。今の日本の経済事情、中国経済の伸びを考えれば、いくら頑張っても軍事力で圧倒することなどできっこない。

国内混乱に乗じて、中国を圧倒したこともあるが、それはたかだか50年で、何千年もの間、日本は中国に朝貢して来たと言う事実を忘れている。大国である中国をいかにうまくあしらうか、これが日本の外交の妙だったはずだ。敗戦の破局に落ちいった戦前の歴史教育の残りかすをぶら下げた熱湯欲の妄想に付き合っていたらアホな結果をみるだけである。



国家がすべきこと、すべきでないこと [政治]

事業仕分けなど予算をめぐって、何が大切で何が不要かの議論がある。しかし、そんなに議論を紛糾させることは何もない。これについてははっきりと憲法で定められているからだ。一般の法律が国民を縛るものであるに対して、憲法は政府をしばるもので、当然そこには国家のすべきこととすべきでないことが書いてある。

すべきことは、憲法25条にあるように、全ての国民に健康で文化的な生活を保障することだ。社会保障はすべてをさしおいてやるべき国家の最大の事業である。これに予算をつぎ込むのは当然の責務であり、そのために国家がある。

逆に、国家がやってはならないことは憲法9条に書いてある。軍備を持つことはやってはならない。軍事費は徹底して削減すべき事業仕分けの対象である。どうせ実戦などできない自衛隊を廃止すれば、国家公務員は半分以下になるし、人件費も減る。今や、最大の人件費浪費は自衛隊なのだ。

「どうせ実戦など出来ない」理由:
資源のまったくない日本を攻めて得する国はない。キチガイ国家でさえ自らの身の破滅をまねくようなことはしない。
人口1000万の国が無抵抗の日本に攻め込んだところで、人口1億の国を支配などできっこない。逆に、10億の人口の大国とは、戦争しても勝ち目はないから戦争できない。それ以前に、緊張が高まっただけで、10億人のマーケットを失った時点で日本経済は破綻する。どう考えても自衛隊で日本が救われるシナリオは成り立たない。

尖閣問題で日本の防衛を考える-----頭の古い防衛大臣 [政治]

尖閣問題のNHK討論会に防衛大臣が出てきて、「軍事力の背景なしに外交は成り立たない」などと寝ぼけた事を言っていた。19世紀から一歩も進歩していない思考構造だと、あきれた。

尖閣諸島に自衛隊が出かけて中国を威圧できるとでも言うのだろうか。10億の国民が支える人民解放軍が自衛艦ごときで引きで下がれるわけがないだろう。向こうも空母なり機動艦隊なりを派遣せざるをえない。いたずらに緊張を高めるだけだ。18世紀、19世紀の昔なら、国境問題は戦争で解決するのが一番だった。強い方がかって問題は綺麗に解決した。

現代ではそのような問題の解決は出来ない。なぜかというと現代の戦争はとてつもなく高くつくからだ。戦争となれば何億もの金を使い。兵隊の命を失い、その補償でまた財政の負担が増える。尖閣諸島にそれだけの値打ちがないことは誰が見ても明らかなのだ。尖閣列島周辺には天然ガスがあるというが、これとて日本は消費地の東京からはなれてる為、発掘・輸送に軽費がかかりすぎて、手のつけようがない。つまり、こんな島のために戦争して、大金を使っても損するだけだということだ。

かつて万能の政治手段だった戦争は、もはや政治問題の解決手段としての能力を失っている。これは戦争の歴史を詳しく調べてみれば確かにいえることだ。日本は中国と戦争どころか、貿易が滞るだけで干上がるのだから戦争は出来ない。そのことがわかっているから威圧も出来ない。軍事というのは実にばかばかしい役立たずの金食い虫なのである。

非正規雇用規制で失業率が増えるか [政治]

若者の30%が非正規雇用という状態で、非正規雇用への批判が高まっている。同一労働同一賃金の原則に反して下請けや派遣で賃金を下げるなどということは社会的に批判されて当然である。しかし、経済学者たちは非正規雇用や低賃金を弁護する。

いつでも首を切ることが出来るから経営者は思い切りよく雇用を増やせる。正社員の採用はよほど安定した収益がなければやりにくい。雇用を増やすには低賃金、非正規を容認するのが良いということだ。さらん、非正規雇用を規制すれば、雇用意欲が減り、失業が増えると脅してくる。

確かに理屈は成り立つ。経営者としても正社員の増員には決断が必要だ。商品が売れても、正社員しか雇えないとなれば増員を思いとどまりビジネスチャンスを失うことになる。この理屈は短期的には正しい。

しかし、今問題になっているのはそのやりすぎだ。あまりにも非正規が多くなって、その弊害が出てきているのが現在の問題であり、やりすぎを規制しようと言うものだ。非正規雇用は短期増減の利便性のためにあるべきで低賃金のためにあるのではない。

非正規のまま3年も据え置かれているのは低賃金にするためとしか言いようが無い。低賃金で労働力が手に入れられるのは企業の甘やかしでしかない。これが続いた結果、まともな技術開発をする企業は衰退し、コスト削減企業ばかりが生き残ることになった。

日本は低賃金に依拠した企業ばかりになって行く。もちろん低賃金は内需の低迷ということで企業業績に跳ね返る。業績が苦しくなった企業はさらにコストダウンを図り低賃金化を行う。この悪魔の循環に陥っているのが今の日本だ。

短期的には苦しくとも、正社員を雇ってまとものな技術開発をする企業が伸びるような施策をすべきである。高賃金を払って業績を伸ばすように企業を鍛えるべきである。そうでなければ日本はこのまま泥沼に沈んでいく。
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アメリカの派遣労働 [政治]

日本の失業率が5%で派遣労働などの非正規雇用が増えている。アメリカの失業率は9%だから、派遣はもっと多いのかと思うが、実はそうではない。低賃金派遣というのは日本固有のものかも知れない.。

アメリカは差別に対する規制が厳しく、同じ労働で別賃金などと言うことは明らかに憲法違反だから許されない。定年による解雇も年令差別だから一般的には認められない。しかし労働者は安泰かと言えば、そうでもない。よく映画で「You are fired」の一言で職場を首になるシーンがあるが、事実で、アメリカでは正社員でも即座に首を切ることができる。だから契約社員だとか派遣だとかの必要が無いとも言える。

すぐに首になるというと日本よりも厳しいことになるが、これも実はそうでもない。日本と違って失業保険が手厚い。最高2年も賃金が補償されるし、しかもこの社会保険が100%会社負担なのだ。日本の企業税率が高いなどと宣伝しているがそれはウソである。この社会保険の負担を含めればアメリカの税率は日本よりも高い。新卒よりも経験者が優遇されるから次の職も見つけやすい。しかし、こういう時すぐには就職はしない。ゆっくりと職探しをして、前よりも高い給料のところを探すのだ。between jobなどと言う言い方をする。.

日本の失業率5%は切羽詰った5%で、アメリカの場合9%でも余裕を持った9%だから、どちらが酷い状況かはなんともいえない。日本の統計には仕事がない主婦を含んでいないことをあわせれば日本のほうが酷い状態だと言える。これに何の責任も感じない政府は問題だろう。

では、アメリカに登録派遣がないかといえばそれはある。contract engineerといわれる人たちで、全米各地に3ヶ月とか半年の単位で出張する専門エンジニアだ。大型の開発には短期的に設計スタッフが必要だ。だからこういうPDを大量に雇い入れる。ボーイングもロッキードも実は同じ飛行機技術者が設計しているのだ。アメリカの大企業の開発はすべてPDによって担われているといっても過言ではない。これは賃金が高い。給料のほかに出張手当て(PD)を貰うからである。

日本は、失業手当が少ない上に、派遣が低賃金のために使われ、新卒でない再就職は難しい。5%の人たちはまさに地獄を見ている事になる。これは政治の責任だから、怒って当然だ。この状態で共産党などの根本的に社会を変えるという政党が得票しないのは不思議な話だ。

県議選はなぜ面白くないのか [政治]

国政選挙は政権交代があったりして話題になる。市議選は身近な生活に直結したことが争点になったりして盛り上がることもある。ところが県議選となると全く盛り上がらない。市議会は派閥争いや利権で必ずしも前向きではないことも多いのだが、対立で乱闘騒ぎなども新聞を賑わす。しかし県議会というのは、そんなことも無く、平穏無事で、一体なにをやっているかもよくわからない。実際の話、自民党も民主党も公明党も一体になったオール与党の県議会がたくさんある。

なぜこのようなことになるかは、日本の地方自治というものの本質的な問題だろう。もともと日本に地方自治などと言うものは無かった。大日本帝国では内務省が出先機関として知事を県に任命・派遣していた。つまり、中央政府の命令を地方に伝えるのが県だったわけだ。県から市に命令が下り、市から町会長、さらに家長へ、家族は家長の命令を受けるという一貫した体制だった。

戦後、新憲法のもとで、家長は廃止され、市町村も少しは身近な代表を選ぶようになった。しかし、内務省は自治省として生き残り、選挙による知事も多く自治官僚から輩出した。県はやはり中央政府の下部機関として残されたのである。総務省が地方交付税の配分権を握っているだけではなく、全てが下請け体制になっている。

「騒音規制法」というのを例に取ってみると。この法律の中身はは国が決める。ところがその実施について国は何もしない。実施は県条例で行うことになっている。「騒音規制法」の引き写しで「××県騒音防止条例」を定める。これを各市に下ろし、市役所が市民の騒音問題の窓口になる。結局、県の役割りは中央政府の命令を各市町村にあたかも自治で決めたかのように伝えるだけである。当然中身はザル法であらゆる工事騒音が許されている。

騒音も、保健も、教育も、警察も、雇用促進も、全部、国の下請けだけである。では県独自で何か施策があるかといえば、大抵、どこに公民館を作るとか県民センターを作るとか、空港、ダム、工業団地といった建設物の選定ばかりだ。こういったものは水面下で行われるから議会でもめることはない。県会議員というのはこういう活動ばかりしているから一般市民には何をやっているのかもわからない。選挙の時に「○○に××を誘致しました」以外に実績を語れる議員は殆どいない。


しかし、県の予算規模は市よりもはるかに大きい。本当はいろんなことが出来るのだ。選挙民も議員も慣れっこなって県議会議員に何も期待しなくなっているが、頑張っている議員もいることはいる。つくば市から茨城県に出ているY議員の活動は通常の県議会議員の枠を越えている。彼女は失業率の問題なども、「国のやることだ」と他人事だった県庁を説き伏せて役人に企業訪問させた。実際に日立建機などで500人の解雇が取りやめになったという。高層マンションの問題でも、市役所の問題だとしり込みせずに出かけて来てくれた。原水爆禁止の平和行進でも、いつも市内歩きとおしをやっている。

国と市の谷間である県の問題だけに閉じこもっておれば県議は何も出来ない。 市の問題にも、国の問題にも積極的に口を出して行く姿勢が県議には求められると思う。それは知事にも言えることだ。残念ながら、ほとんどの知事は国のいうままで、一部の「わがまま知事」は権限を要求することだけで国と対立している。独自の施策で国を越える自治を実現する知事は出ないものだろうか。そうでなければ日本人にとって自治は永遠のかなただ。

民主党の無残な変質 [政治]

民主党が去年マニフェストとやらで打ち上げた公約を見返してみよう。
  • 沖縄の米軍基地県外に-------------------->結局同じ
  • 後期高齢者医療制度廃止------------------>結局同じ
  • 大臣に代わる官僚の答弁廃止-------------->結局同じ
  • 地方を拘束する法律や政省令の規定を廃止-->知らん顔
  • 国家公務員の再就職あっせんを禁止-------->結局同じ
  • 「政府調達監視等委員会」を設置---------->知らん顔
  • 早期退職勧奨を廃止---------------------->知らん顔
  • 選択的夫婦別姓の早期実現---------------->気配無し
  • インターネット選挙運動解禁-------------->気配無し
  • 選挙権を18歳から付与する---------------->知らん顔
  • 公務員の労働基本権を回復する------------>気配無し
  • 「住民投票法」を制定-------------------->気配無し
  • 企業・団体献金の全面禁止---------------->気配無し
  • 「子ども手当」創設----扶養手当廃止------>結局同じ
  • 出産時助成金の支給---------------------->気配無し
  • 高速道路の無料化------------------------>気配無し
  • 国直轄事業の地方負担金制度の廃止-------->気配無し


なんというひどい有様だろうか。公約しても実現できないこともあるだろう。しかし、ここまでくると嘘つきといわれても仕方ない。まったく実現しようと言う意識が見られない項目も多い。政権を取って当初はこれまでの自民党とは異なる意気込みを見せた。鳩山首相の施政方針演説は悪くなかった。しかし、沖縄問題でつまづいて以来、やむなくではなく望んで自民党路線に同化しているように見える。いったいなぜ、ここまでの変質が起こったのか不思議なくらいだ。人間の考えと言うものがそう簡単に変わるものなのだろうか。

ここに来て思い当たった。実は根本は変わっていないのだ。民主党には綱領というものがない。共通の合意としてあったのは「政権交代」だけだった。政権交代が民主党の全てだったのだ。政権を取るためには何を約束すれば都合が良いか?この答えが選挙公約だったわけだ。

では、政権を取った後どうなるか、もちろん政権維持が唯一の共通合意になる。長く政権を取ってきた自民党と同じ事をするのが政権維持には良いと学んだ。「政権が欲しい。そのためにはなんでもする」この民主党の基本原理は実は見事に貫かれている。マニフェストだのということに騙された有権者がアホだったと言えばそれまでだが、せっかく倒れた自民党政権を復活させたくはない。他の政党になんとか頑張ってもらいたいものだ。

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