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イスラム国のテロに思う [社会]

バングラデシュで7人の日本人が殺され、改めてイスラム国によるテロリズムが問題になっている。様々なニュース解説があるが、警備を強化するだとか、各国が連携するだとかを報道するだけで、実際にはなんの解決策も見つけられていない。

なぜイスラム国の決死隊は自分の命を捨ててまで、日本人を殺さねばならないのかは、いまだに理解できない。一人二人ならキチガイの行動とすることもできるが、これだけ各地でテロ事件が起こるということは、イスラム国の考えに同調して自分の命を捨てる若者が少なくないということだ。被害者の死は取り上げられるが、犯人たちも命を捨てていると言うことを忘れてはならない。

イスラム国にはそれなりの主張があるはずなのだが、不思議なことにイスラム国の主張が報道されたことがない。不思議な現象ではある。我々の住んでいる社会とムスリム世界は隔絶されている。

ガザでは、多くの子供たちや市民が爆撃やミサイルで殺されている。しかし、世界ではこれが重大問題として取り上げられることはない。イスラエルはパレスチナを侵略し続けているが、世界ではこれが重大問題として取り上げられることはないし、どの国も親身になってパレスチナを救おうとはしない。

ムスリム世界の人たちは、世界から見放されているという絶望感を感じているだろう。文化はギリシア・ローマからイスラムに受け継がれた。中世にそれが十字軍に奪い取られ、あたかもギリシャ・ローマの文化は、直接ヨーロッパに受け継がれたこのような歴史観が定着している。世界はムスリムを無視しているのだ。

世界はムスリムを敵視する十字軍に支配されている。工業生産は圧倒的に十字軍のものだ。ムスリム世界で工業を起こそうにもすでに十字軍世界で作ったものが安く流通している。いまさら太刀打ちもできない。外国からの観光収入にたよると言う情けない状態から離脱する道が見いだせない。 解決策がないのだ。イスラム教国の政府は、どれもみな、十字軍に屈服して欧米や日本との「友好」に明け暮れている。誇り高いムスリムの業ではない。

なんでもいいから、とにかく十字軍諸国を追い出し、独自のムスリム世界を作る他ない。十字軍世界からは隔絶されたムスリム世界で、独自の発展を目指すのだ。それをさせない十字軍の干渉を許してしまっているのでは生きている価値がない。死ぬなら、敵を道連れにして、ムスリムの気概を示そう。

想像でしかないが、多分、そんな考えなのではないだろうか。やらせてあげればいいではないか。中央アジアにイスラム国を作るのなら、認めてあげればいい。世界から鎖国したいならさせてあげればいい。イスラム国の支配地域と重なる国々は、自国の一部がイスラム国に取られたというだろうが、国内問題に過ぎない。こういった国々は、外国の援助でなり立っている本当の意味では国と言えない類のものだ。それを有志連合で支援して爆撃までして押しつぶそうとするからテロが各地に広がる。

銃口を向けられ「私は日本人だ。撃たないでくれ。」と叫んだ人がいたと言うことだが、無駄だった。安倍首相は、各国を歴訪してイスラム国攻撃に金を出し、十字軍への参加を表明してしまっている。おまけに戦争法案を出して、実際に海外派兵も準備することが知れ渡っているからだ。イスラム国から見れば十字軍の一員でしかない。政府は殺された人たちに200万円の見舞金を検討しているという。震災でも、秋葉原の無差別殺人でも、こんな金は出さなかった。7人が殺されたのは安倍首相のせいだと意識はしているのかもしれない。

圧倒的な情報不足は否めない。もっとムスリム世界のことを知り、イスラム国の主張も聞くようにしなければ解決の糸口も見いだせないだろう。軽々しく十字軍に同調するのは避けるべきだ。

2016年参議院選挙結果をどう見るか [政治]

2016年参議院選挙選挙で、安倍政権は改憲を争点から外して、有効求人倍率などの経済指標を表に立てた選挙を行ったが、選挙後には改憲ばかりを口にしている。これは、前回選挙でも同じだ。アベノミックスを前面に立てた選挙をやって、戦争法案とTPP消費増税を押し通した。国民は、またもや策略に乗せられたわけだ。

選挙結果として、自民党議席が増え、改憲勢力が三分の二を上回ったと言われており、日本の右傾化がさらに進んだと解釈されているが、果たしてそうだろうか?自民単独で過半数の121議席になったのだが、これには非改選の65議席が含まれている。今回の当選者は、56人だから前回より少ない。つまり、今回の結果だけでは、半数に届かないのだ。

2013年の選挙では、民主党が、あまりにもひどく国民を裏切り、沖縄基地を継続するわ、消費増税を決めるわ、武器輸出を決めるわ、で見放された。無理な保守迎合で混乱を招き、議席を激減させる結果となった。今回の選挙結果というのは、実は2013年選挙が大きく寄与しているのだ。今回も民進党は、議席を減らしたわけだが、それは、2010年選挙から減ったと言うことに過ぎない。

民進党の獲得議席は、2013年に比べたら、かなり増えているのだ。その中身としては、野党共闘が実現した一人区での勝利が大きい。前回2人しか勝てなかったのに対して11人の当選だから、圧倒的な結果だ。もし、野党共闘が実現していなかったら、民進党は壊滅していた。

自民党は選挙で勝利したとは言えない。現職の大臣が2人も落選していることからも、政権に対する信頼は失われていることがわかる。人口の10%を占める東京での議席が2しかなく、得票では民進党に負けている。政権党が、首都で四分の一程度の支持しか得られていないのだ。

こうした得票の動向と、議席数の落差はどこから来るかといえば、もちろん小選挙区制という選挙制度のたまものである。合区したところは全て自民党が抑えた。一人区では、野党共闘の盛り上がりでもなければ、現職で知名度が高い自民党候補を追い落とすことは、実際上難しい。比例区でも、政権にあることを利用して、タレントや有名人を集めて、票を稼がすことができる。

衆議院選挙では、重複立候補で、小選挙区の候補者は全員が復活当選する仕組みが出来上がっている。対立候補は必ず当選するとわかっている相手と戦わねばならない。奇妙な制度としか言いようがない。

強力な支持基盤を持っているかにみえる安倍政権も、実は歪んだ選挙制度に依存して議席を取っているに過ぎず、内容的にも脆弱なのだ。これから、アホノミックスの帰結として、失政が誰の目にも明らかになれば、選挙結果は大きく変わる。だからこそ、暴走する危険があるとも言える。議会の暴走を食い止める社会運動が必要な時だ。


都知事選の舞台裏-ー利権の構造 [政治と金]

舛添要一が前代未聞の醜態をさらして、スキャンダル選挙が2回続くことになった。都知事選には、毎回知名度の高い候補者が出て、ある意味盛り上がる。今回も、候補者の選任で色々と目まぐるしい駆け引きがあった。なぜ、選挙前に、ここまでもめるのか?

それは東京都が、埋蔵金がごっそり詰まった宝の山だからだ。国も地方も、赤字財政で予算は緊縮状態にならざるを得ない。しかし、東京都だけは違う。今も昔もずっとバブルが続いている。

大会社の本社がすべて集まっている東京都の税収は、都民一人あたりにして、大阪の5倍、普通の市の10倍はある。ところが、住民サービスは、他の市とあまり変わらない。「国の基準」を言い訳にして、金が有るのにケチったサービスしかしていない。

10倍もある税収の、あとの9割はどこに消えているのか?これが東京都の利権である。東京都の実態は税金山分け機構なのである。有り余る予算を使って、都の事業として、様々な無駄使いが行われている。石原なんかは、大名旅行を繰り返したり、赤字銀行を作ったりしたが、そんな事ではびくともしない。膨大な外郭団体が、天下り官僚の巣窟になっており、政治家たちや利権人脈につながる連中がが甘い汁を吸いまくっている。

実際のところ、都知事の最大の役割は、こうした利権組織の暗躍を「よきにはからえ」と黙認し、適当に仲裁をして利権配分に折り合いをつけさせることであったと言える。自民党は、東京都に18%の得票率しかなく、自民党自体が司令塔になるだけの力はない。利権配分には知事の権限が必須なのである。だからこそ、候補者選びは毎回難航するのだ。

小池百合子が自民党の推薦に拘泥しないのは、東京都での自民党の力量を知っているからだ。石原も自民党とは対立する形で知事になった。二期目からは自民党都連が推薦に回り、民主党も実質的に与党化したが、これは石原がうまく利権集団に溶け込んだからだ。小池もそのつもりだろう。

引退する石原は、独自の利権人脈を残すために、猪瀬を選び、自民党筋とも折り合いを付けたのだが、オリンピックの誘致が決まって、配分シナリオが狂ってしまった。これが、自民党が猪瀬降ろしに熱心だった理由だ。舛添の時より、ずっと対応が早かったという印象は、誰もが記憶するところだ。

舛添の登場は、新たな利権配分に折り合いをつけた結果だ。自民党は熱心に舛添を押したし、都議会民主党も、成り行き上細川護熙についたが実質上は動いておらず、舛添支持のようなものだった。東京都の利権構造にどっぷり浸かった自民・民主は舛添を降ろしたくなかったのだが、共産党の追及に世論が同調するようになり、世論受けねらいの公明党が裏切った挙句、舛添を切らざるを得なくなった。

小池百合子も自民党の国会議員で知名度もあるのだから、わざわざ増田寛也を担ぎ出すこともないだろうにと思われるが、小池の場合、利権集団との折り合いが着いておらず、石原のように、やがて取り込まれることが確実でも、オリンピック利権の執行までに時間的余裕がない。内務官僚として、各地の利権配分仲裁役で実績がある増田の即戦力が必要なのだ。

民進党も、参議院選挙の野党共闘に合わせて、共闘体制を早々と打ち立てることも出来たはずだが、都議会民進党がぐずぐずしていたのは、本音では自民党と相乗りしたかったからだ。しかし、舛添の辞任を受けて、前回のように候補を擁立しないわけにも行かなくなっている。鳥越俊太郎の出馬でやっと候補が決まったという次第だ。

都民にとって、東京都の課題は、こうした税金山分け体質からの離脱であることは明白だ。「国の基準」を大幅に上回る住民サービスを実施して、利権を減らす。これが全国の住民運動を刺激すれば、国民の主権者としての意識が高まり、日本全体の政治を変える大きな原動力になるだろう。鳥越氏にある程度の期待はできるが、利権勢力の「側近」に取り囲まれて、結局何もできなかった青島幸雄のような結果にもなりかねない。病根は極めて深いのである。

3万年前の航海再現って? 与那国島から西表島 [技術]

沖縄には非常に古い人類遺跡がある。南方から海を渡って人類がやってきたという仮説に基づいて、その航海を再現しようというプロジェクトが行われた。しかし、どうもその趣旨がよくわからない。

最古の人類痕跡が3万年前くらいにさかのぼるから、その頃、海を渡って来たという想定だが、沖縄列島は、おそらく二万年前くらいまで、大陸と陸続きだったから、航海の必要なんかない。しかし、こういった古地理については、それほど正確さがあるものではないので、あるいは、全く海を渡る必要がなかったと断言するわけにも行かないかも知れない。

このプロジェクトでは、葦船を使うということだが、その理由は、旧石器時代には、鋭い刃物がなかったので、木材の加工が出来ず、与那国島には葦があるからだそうだ。方向は逆で、台湾や南方の島で葦が自生していたかを考えなければならないはずだ。葦船のプロモーターが最初から関与している事からみても、葦船ありきのプロジェクトだとわかる。理由は後付けに過ぎない。

実際に海を渡ったとすれば、おそらくそれは、丸木舟か筏だろう。木を焼くことで、刃物はなくとも丸木舟を作ることは出来る。葦船を組み上げるにはかなりの造船知識と編み込み技術がいるから、そう簡単ではなかったはずだ。。目的地がどれだけ遠いかわからない航海では、大量の荷物を積む必要があるから、おそらく筏だ。ハイエルダールのラー二世号などは、こういったことを踏まえたものだ。

わずか2日間の航海であることが最初から分かっているのでは、たとえコンパスを使わないとしても、なんの検証にもならない。実際には、北に流されたことを知って曳航してもらっているから、GPSまで動員してしまっている。

あまり、プロジェクトの意味には、感心しないのだが、成り行きには興味があった。中国は琉球との交通に、台湾から与那国、先島諸島といった島伝い航路ではなく、昔から尖閣を通る直行ルートを取っている。日本では誰も存在を知らなかった尖閣が中国でよく知られていたのは、そのためだ。この理由は海流にあるのではないかと思っていた。台湾の周りは海流の流れが速い。

案の定、葦船の航海は失敗した。主催者側は成功と言い張っているが、途中、海流に流されて随伴船に曳航してもらったのだから明らかに失敗だ。推進抵抗が大きく、漕いでも時速2kmくらいしか出ないのだから、海流に逆らえるはずがない。この海域の潮流は10kmになることもざらだ。葦船は湖沼で使われるもので、外洋航海には無理があると言うことだ。

沖縄にはサバニという軽快な小舟がある。多少、潮流があっても、これなら漕ぎぬける。ただし、波浪には弱く、やはり外洋向きではない。外洋を航行するということは、生易しいことではなく、造船術、航海術といったものの積み上げが必要で、その基礎となる天文学や数学がいる。外洋航海は文明そのものなのである。自然の中でのロマンチックな夢と簡単に結びつけてしまうのは、考えが足りない。

原発官僚が都知事候補 [原発]

福島原発事故から5年。事故の恐怖感がある程度風化してきている。原発事故のあと、あれだけ騒がれた電力不足が、一言も語られない。原発は再稼働しなくとも電力は足りている。

にもかかわらず、電力会社は、再稼働にむけて、着々と準備を進めており、とがめられている様子がない。そして今、こともあろうに、自民党は極めつけの原発官僚を都知事にしようとしているのだ。

東京都民の意見を聞けば、原発推進は多数ではありえない。都知事候補となる直前まで東電の取締役を務めていた人物を引っ張り出す感覚がおかしい。都知事を利権配分の権力とだけしか考えず、都民の意見を聞くとか、都民のために尽くすといった考え方が微塵もない証拠だ。

今ここで、原発推進派の知事を選べば、原発は完全に復活する。日本列島は原発で埋め尽くされてしまうだろう。過疎の地方は札束で顔を引っぱたかれて屈服する。電力料金さえ上げれば、金はいくらでも手に入る。原発地獄の再現だ。

しかし、都民はこの問題に反応していない。東京都民はアホの集まりと言われる所以だ。

これまでも、石原を選び、猪瀬を選び、はたまた舛添を選んできたのは、都民だ。今回も、自民・公明の組織力で原発官僚を都民に押し付けられると踏んでいるのだろう。有り余る財政力があるのに、都民への行政サービスはケチ付き、利権による無駄遣いばかりを行う知事を容認してきたのも都民だ。馬鹿にされてニタニタ笑っているのだからあきれる。

正直、自分が都民でなくて良かったと思う。

弱い女は切り捨てる---小池百合子の正体 [政治]

 都知事選に立候補している小池百合子を、写真で見ると優しそうで好感が持てた。しかし、選挙報道の中の素顔は写真とまるで違うオバサン顔だった。65歳なのだから、当たり前だが、昔の写真でイメージを作り上げているのだ。こういう人物の場合、イメージと実際のギャップに気を付けなければいけない。

若いころ、ピラミッドの上でお茶を点てるといった妙なパフォーマンスで名前を売った。目立つことには人一倍熱心だったようだ。どう売り込んだのかよくわからないが、テレビで竹村健一のトークショーにアシスタントとして、レギュラー出演するようになった。コネを作る世渡りもうまい。それまで、報道にはジャーナリストの反骨精神の反映で政権批判の姿勢が強かったのだが、この番組が、その後増えてきた右翼肩入れ番組の走りだ。

テレビで顔を売って、1992年に日本新党から参議院議員になった。その時のセリフは。「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」だったのだが、その後自民党に移ったこととどう符合するのだろうか、おそらく「政治を変える」必要がなくなったのだろう。目指すところは、「自分が議員・大臣になれる政治」だったわけだ。

女性議員を長く勤めてきており、今回も女性知事を売り物にしているが、議会での発言には女性の抱える問題を取り上げたものが、驚くほど少ない。多くは軍事強化・統制強化の発言である。子育てに四苦八苦しているお母さんや、シングルマザーの生きる苦闘に対する共感は全く見られない。主張することは、女性パワーの活用であり、力ある女性が活躍できる社会だ。

日本会議国会議員懇談会の副会長であり、自民党の中でも右翼強行派だ。ザイトクとのつながりもある。戦争法案以前に「集団的自衛権は解釈を変えた」と一言えばしまいだと、安倍をけし掛けたりしている。米軍との連携を強化するため東京に核ミサイルも辞さないといった物騒な発言もある。少子化の原因は逞しい男が減ったことにあるといった見当違いの発言もしている。安心して多くの子供を育て上げられる環境がないことが政治の責任なのだが、捻じ曲げも甚だしい。

小池百合子の中には、力こそ正義といった発想がみられる。最初に近づいた政治家が、独裁者カダフィだったし、逞しい男願望や、軍事強硬論もそうだ。女性の問題に関しては、弱い女は眼中にない。女を武器にしながら、男社会にどっぷり浸かった凄腕女ーーこれが小池百合子の正体だ。

イメージと実際を使い分けるのがうまい。エコを唱えていて反原発と受け止めるイメージを作っているが、原発廃止を言ったことは一度もない。逆に管首相に原発を輸出しろと迫った。舛添を「初めからそんな人だった」と批判して見せているが、自分が舛添を知事に擁立した張本人のひとりではないか。舛添と同じくセコイ政治資金の実績もある。

パーティーをやった収入を隠していたし、200万円以上も花を買ってばらまいている。S-MAILという実態のない会社に調査費を支出したりもしていてきな臭い。自分の事務所内においた区議団あてに何千万の寄付をしている。到底、クリーンとは言えない。

こんな候補に都民はまた騙されるのだろうか? やはり、東京都というのは、相変わらずの伏魔殿だ。もし知事になったら、発言のウソが問題になる事態が多発するだろう。鳥越候補を病み上がりとこき下ろして、録画もあるのに「そんな事は言っていない」と平気でしらを切った。石原慎太郎が推薦したかのように宣伝して、石原は、「厚化粧女」と激怒した。顔の厚化粧は構わないのだが、言動の厚化粧は困る。

大西隆氏の奇妙な軍事研究容認論 [技術]

日本学術会議会長の大西隆氏が、毎日新聞に寄稿している。学術会議は、これまで安全保障にかかわる研究に対する規範をもっていなかったので、委員会を設けて議論するとという。そんな事はない。日本学術会議は、被爆国の経験から、一貫して、人殺しのための研究、軍事研究を否定してきた。軍事研究に対する規範はしっかり持っていた。結論は委員会にゆだねるとしながら、委員の一人である同氏の所論を述べている。規範を変更しようという意図が見えてしまう。

同氏も、これまでに学術会議が戦争目的の研究を否定してきた事を「重く受け止める」と言うし、防衛官庁による研究費を「低く留めなければならない」と、軍事研究が好ましいものでないことは認めているようだ。にもかかわらず、軍事研究を容認する論理がどこから来るかというと、国民の多くが「自衛権を容認し、自衛隊の存在を認めている」から「安全に貢献しようとするのを止めるわけには行かない」のだそうだ。

自衛隊の存在を認めることと、大量殺戮の高性能兵器を開発することには大きなギャップがある。安全保障のために軍備を持つことが必要だと考えている人も、科学者が殺人兵器の研究に狂奔することを望んだりしていない。大西氏は、ここからデュアルユース、つまり軍事にも民生も役立つ研究のことに話を逸らすのだが、その前に明確にしておかねばならないことがある。

はたして純然たる軍事研究すなわち、より効率よく人を殺す研究が望ましいものなのか?より優れた兵器の研究が人類に幸せをもたらすものなのか?これをはっきりさせてから、デュアルユースなど境界のあいまいさを議論すべきだ。答えは、誰に言わせても、もちろんNoである。科学を人殺しのために使うことは、やりたい人がいれば「止めるわけには行かない」で済む話ではない。

純然たる軍事研究で考えて見れば明らかなように「多くが自衛隊を容認している」は、人殺し研究を容認することと何の関係もない。このことは、デュアルユースであっても同じだ。科学は「善用」もされれば「悪用」もされる側面がある。だからといって「悪用」を目指した研究が容認されるわけではないのだ。

同氏が豊橋科学技術大学の学長として、防衛省研究費の応募を許した理由は、毒ガスフィルターの開発が民生にも役立つからだと言う。確かにメッキ工場とか有毒ガスを扱う半導体製造など、実際に使われるのは民生現場が多いかも知れない。ならば、これを軍事研究として行う必要はない。堂々と研究費を募り、純然たる研究として行えば良い。

軍事研究に応募する理由は、金が取やすいからだ。学長として研究者に問うべきだったのは、本当に軍事研究をやりたいのかどうかだ。例え資金がなくとも、人殺し研究をやりたいと言うまともな学者はいない。軍事研究は全て金がらみだ。軍事研究が好ましいものではないことを殆どの科学者が意識している。いま問われていることの本質は、科学者が金に目がくらんだ研究をやって良いのかどうかである。

同氏が言うように「自由な研究成果の発表」など、敵に知られないことが必須の軍事研究に求めるべくもない。デュアルユースを持ち出したり、安全保障意識を持ち出したりするのは、金に屈服する言い訳を与えようとする試みに他ならない。学術会議が軍事研究を容認する方向に転換するとしたら、もはや科学者を代表するものでなく、単なる政府の従属機関に過ぎない。選挙制から任命制に移行した結末がこれである。
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