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浜辺から一歩足を出せば外国?--------「大明一統志」を読む [尖閣]

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明国と琉球の国境がどこにあったかは、数々の文献で繰り返し述べられているように、赤尾嶼と久米島の間にあった。これは、琉球側の資料でも是認されているから否定のしようがない。これに使われる詭弁論法は、「確かに日本領だと言えるのは久米島までだが、久米島から先は無主の地であったから、どちらが取っても良い。だから久米島から先も日本領土だ。」というものだ。

この根拠として持ち出されるのが「大明一統志」である。尖閣問題を生業としているらしいI氏がブログにコメントを寄せて、「明国の領土は海岸までだとはっきり書いてある」と言ってきた。中国が自ら無主の地だとしていると言うのだ。

東アジアは中国を中心とする冊封体制で形成されていた。世界は、中国の天子のものであり、その周辺の一部を、朝貢国の支配に委ねて王を任命するというのが冊封の思想である。だから中国と朝貢国の間に、「無主の地」などという概念はない。世界には冊封体制を認めない国もあったが、中国が自ら冊封体制を否定するなどということはあり得ない。もしこれが本当ならば、東アジアの発達史を覆す新学説になる。

「大明一統志」が一体どのように記述しているのかは、大変興味深い。根拠となっているのは福州府の項らしい。領土は海岸までと、「はっきり書いてある」というのだが、引用されているのは、「福州府 東至海岸一百九十里」という文言だ。なんの事はない。海岸までは190里というだけで、どこまでが領土だなどと言う記述はどこにも無い。常識的に考えても、浜辺から水に一歩踏み出せば外国だなどと言う馬鹿なことはあり得ない。明國は、近隣の島にも倭寇対策の兵力を配備しているのだから、もちろん「領土は海岸まで」はあり得ない。

「大明一統志」は、明国各地の産物や名勝などを書いた地理書であり、全90巻にわたって「府」ごとの記述が連なっている。「省」の下が「府」、さらに「県」がある。その内容は府設立の歴史とか、山川、産物、出身人物、施設、旧跡といったいったもので、旅行案内書の側面も見受けられる。

項目の始めに、数値を入れた概要諸元みたいなものが書いてあり、そのあとで解説が始まる形式になっている。現在は、浙江省との間に寧徳があるのだが、当時は、寧徳も合わせて福州府の管轄になっており、浙江省に接していた。この部分の全体を示せば、次のようなものだ。4方向で書いてあるから、福州府というのは福州の役所、本府のことを書いていると考えられる。

福州府
東至海岸一百九十里西至延平府南平県界二百五十里
 (東は190里で海岸に至る。西は、250里で延平府南平県との境界に至る)
南至興化府甫田県界二百三十里北至浙江温州府平陽県界六百三十里
 (南は230里で興化府甫田県との境界に至る。北は630里で温州府平陽県界との境界に至る。
至南京二千八百七十二里至京師六千一百三十三里
 (南京までは2872里、京師までは6133里で至る)

福州本府の位置が接している他の府や海岸からの距離、そして都や南京からの距離で書かれている。西が県界であるから、東も(海岸とあるだけで別に界とは書いてないのだが)限界だとでも憶測するのだろうか。さらにそれを、根拠なく国境に置き換えて、海岸までが領土などと言っているなら、もう、滅茶苦茶だ。前半だけを取り出して東西南北がそれぞれ限界で、福州府の管轄範囲を書いてあるのだという解釈をするのかもしれないが。それにも無理がある。

東西南北の真四角な府ならば、それも可能だが、当時の福州のように斜めに広がっている府の場合、東は、190里が限界などとすれば、府の北東部は範囲外になってしまう。どうしても範囲を記述したければ、「北東に伸び、その東端は600里」とでも書くしかない。東西南北4方向記述で、府の範囲を示すなどと言うことは不可能なのだ。だからこの文が位置を示していることは明白だ。文言通りの記述を、府の範囲と解釈する無理を示す図を掲げて置く。北東部の領土が、大きく四角からはみ出してしまう事がわかる。そもそも、どこにも国境などと言うことは書いてないのだから、「はっきり領土は海岸まで」と書いてあるなどという言い方は「はっきり」虚偽になる。

「大明一統志」には「島」と言う項目がない。これは、上の東西南北記述でも分かるように、統一形式ということにこだわっているからだ。多くの府に島はないから島という項目を外したのだ。だからと言って島を領土から除外したわけではない。書いてないだけだ。福州の記述の中にも「山川」の項目で、「海壇山 在福清県東南海上、遠望如壇因名」というのがある。海岸から離れた島にある山を書いている。海岸が境界でないことは明らかだろう。他の文献で明に属することがはっきりしている領土にも「大明一統志」には載っていないものが多々ある。尖閣が「大明一統志」にないから明の領土ではなかったなどと言えるはずもない。

もう少し、まともな議論が出来ないものだろうか。もっとおかしいのは、実際の原典を見もせず、「明国の領土は海岸までだとはっきり書いてある」を繰り返している人がかなりいることだ。日本国内での尖閣議論は、かなり歪められている。
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コメント 2

いしゐのぞむ 平成28年度内閣官房委託沖繩平和協力センター尖閣資料調査事業特別研究員。

「他の文献で明に属することがはっきりしている領土にも「大明一統志」には載っていないものが多々ある」
ありません。島の領土は海南島を明記してゐます。海防線は隆慶年間頃から福建沿岸まで進出しました。それらは全て明確な記録があります。尖閣の遙かに西側でチャイナは盡きてゐます。「もう少しまともな議論」、ご自分のことでせう。拙著書及び論文を精覽して下さい。
by いしゐのぞむ 平成28年度内閣官房委託沖繩平和協力センター尖閣資料調査事業特別研究員。 (2017-06-23 05:37) 

おら

「中山伝信録」に出てくる南把・鳳尾・魚・台・里麻などの諸山(島)は温州に属するのですが「大明一統志」に書いてありますか?「皇明実録」に出てくる東引島は実効支配もあり、役人まで駐在する島ですが「大明一統志」に出てきますか?「他の文献で明に属することがはっきりしている領土にも「大明一統志」には載っていないものが多々ある」というのは事実です。

文中、『「はっきり領土は海岸まで」と書いてあるなどという言い方は「はっきり」虚偽になる。』とまで書いたのですが、この点に関する反論はなさそうですね。
by おら (2017-07-19 21:36) 

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