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尖閣の地図--籌海図編を読む [尖閣]

一般の地図と言うのは、多くの情報を含んではいるが、読み取りと解釈が難しい。どこかに国境線が引いてあったとしても、なぜそこにしたのかの説明は一切されない。理由の説明がないというのが一番の難点である。

これが書物の一部であり、地図が説明図として使われている場合は、少し議論が出来る。籌海図編は明国の海防書であり、目的ははっきりしている。倭寇に対する防備である。武器や作戦の説明があり、倭寇が襲撃する地域の地図が出てくる。

倭寇というのは海賊であるが、船を襲うだけでなく、中国沿岸の陸地をも襲って来る。応仁の乱以降の乱れた社会情勢を背景に、戦闘に慣れた日本各地の水軍などから派生した。初期は主として朝鮮、山東を狙うものだったが、後期にはもっと南の沿岸を襲うようになった。必ずしも日本人というわけでもなく、特に後期には、ほとんど中国人であっただろう。戦国大名達の統治が確立すると日本人の倭寇は減り、江戸幕府が鎖国体制を決めてからは、もう簡単に国外出撃はできなくなった。

籌海図編は1562年に完成したとされる。この頃には、中国人倭寇も増え、中国沿岸の島々に巣食っていたが、王直や徐海といった大頭目は、日本を根城にしており、日本人の戦闘員を集めていた。日本では貿易商と認められていたので自由に行動できたからだ。「日本一鑑」を書いた鄭舜功が来日したのは、倭寇の頭目である在日中国人を犯罪者として扱うように要請するためだった。

このような状況だったからだろう。この本では、倭寇は専ら日本から来るとして、第一巻の「沿海山沙図」には日本の地図を載せているし、倭寇の号令などを理解するための日本語語彙集もついている。五島列島あたりが倭寇の根城であり、これが東風に乗って山東と華南領域に襲来するとして、二つの浸入経路が図示されている。これに続いて2枚の沿岸図が出てくるのは、防備する側の配置図ということになるが、ここに尖閣が出てくる。

第二巻は作戦要綱であり、第3巻は侵入史などで第4巻以下は福建、浙江など、各省ごとの配置などが書いてある。尖閣に近いのは福建省だが、「福建沿海総図」にはごく近海しか書いてない。尖閣が日本領であると言う人は、これに書いてないことが、中国領と認識されていなかった証拠だというが、よくわからない論理だ。各論では、実際に兵力が配備されている近海だけを描いても別におかしくはないと思える。外の省でも同じように近海しか描いてない。無人島に兵力配備がないのは当然だろう。

第一巻に戻って「沿海山沙図」を見てみると、各論よりも遠方まで描いてある。中国大陸を下にする図で、海中に島々の名前があり、上の端に、彭化山、釣魚嶼、化瓶山、黄毛山、橄欖山、赤嶼などの尖閣の島々が横に並べて書いてある。実際は縦に並ぶはずだから、地図というよりリストといったほうが良い書き方だ。

なぜここにこういった島々が並ぶのだろうか。尖閣日本領論者は、倭寇の浸入経路を書いたものだと言う解釈を取るのだが、それは無理だ。倭寇の浸入経路は、五島方面からであることは別図に明確に示されており、琉球につながるルートは想定されていない。琉球が倭寇の根拠地であったことは全く無いし、台湾方面が倭寇の巣窟になるのは後代のことだ。だとするとこの地図は、やはり、明が守るべき海域を示しているという解釈しか取りようがない。明と同盟国である琉球を結ぶルートは、守るに値する重要な海域だ。

冊封使航路では、この先、久米島を経て琉球に至るのだが、地図に久米島は除外してある。これは、使琉球録にある国境論と一致する。この先は琉球が防備すべき範囲だからだ。この点でも尖閣は明が守るべき海域にあると表現した地図と解釈するのが妥当だ。実際には、明の力は、沿岸防備にも窮するくらいで、尖閣の防衛など出来る余力はなかったと言えるが、これはあくまでも作戦計画書なのだから、尖閣を中国領と考えていた意識が現れていると言ってよい物だ。

尖閣は中国が関心を持たない「無主の地」では無かった。明国が赤嶼までを領土だと考えていた証拠だ。

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